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久保田 篤(くぼた あつし、1959年10月26日 - )は、日本のタレント、パチプロ。福岡県出身。九州工業高等学校(現・真颯館高等学校)卒業。所属事務所は、株式会社プロマージュ。 == 来歴・人物 == 1980年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に挑戦、第33回決戦大会で合格(同回の他の挑戦者に、同じ福岡出身の松本泰司がいた。松本は1社からも指名されなかったものの、審査員の裁量で次の決戦大会への挑戦権が優先的に与えられる「審査員奨励賞」を受賞)。田辺エージェンシーからスカウトされるが、番組を通じてのデビューはならなかった。 同年10月、『タモリの突撃ナマ放送』(1981年6月終了)で番組アシスタントを務める〔スポーツ報知 30面 2014年3月30日 「あすフィナーレ 32年ありがとう いいとも!」(7) 久保田篤〕。 1982年10月、同じくスタジオアルタでのタモリの生放送冠番組となる『森田一義アワー 笑っていいとも!』にて、初代いいとも青年隊(1985年3月まで)として野々村誠(現・野々村真)、羽賀健二(現・羽賀研二)と共にデビューした。 パチプロでもある。現在ではそれを本業としており、漫画の執筆やCS放送のパチンコ番組、パチンコ雑誌での攻略法伝授などをしている。パチンコの腕はいいとも青年隊当時から群を抜いており、野々村曰く「僕らが収入の無い頃は、あっちゃんにパチンコで食わせてもらった」というほど。その腕前は、パチンコの収入でマンションを2軒購入したほどであり、別名マンション久保田とも呼ばれる。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では同名で出演し、「風車は左」「パチンコ店に入る時は右足から」を口癖としていた。 いいとも青年隊時代からパチンコに熱中しすぎたがため、当時のプロデューサーから自粛するよう厳しく叱責を受けていたという。またいいとも青年隊活動当時、写真週刊誌『FOCUS』にパチンコ店に開店前から並ぶ芸能人(アイドル)と見出しを出されたこともある。2014年3月現在、タレント業と並行して、母親の実家がある大分を拠点にプロのパチンコ打ち師としても活動している〔〔女性自身 2626号 「久保田篤 365日パチンコ&温泉「サイコ―な生活」のいま 」〕。 いいとも青年隊の頃に知り合った6歳年下の女性と、約20年の交際を経て結婚。1999年(平成11年)12月31日入籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久保田篤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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