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マンスール・アブー=バクル : ウィキペディア日本語版 | マンスール・アブー=バクル マンスール・アブー=バクル(アラビア語 الملك المنصور سيف الدين أبو بكر بن الملك الناصر محمّد بن الملك المنصور قلاوون الألفي الصالحي النجي al-Malik al-Manṣūr Sayf al-Dīn Abu-Bakr b. al-Malik al-Nāṣir Muhammad b. al-Malik al-Manṣār Qalāwūn al-Alfī al-Ṣālihī al-Najmī, 1321年頃 - 1341年)は、バフリー・マムルーク朝の第16代スルターン(在位:1341年)。 1331年にナースィル・ムハンマドはアブー=バクルの弟アーヌークを後継者に指名していたが、1340年にアーヌークが没したため、アブー=バクルが後継者に指名された〔大原『エジプト マムルーク王朝』、75-76頁〕。 1341年6月7日にアブー=バクルはスルターンに即位する〔五十嵐『中世イスラーム国家の財政と寄進 後期マムルーク朝の研究』、22,25-26頁〕。翌7月に若年のアブー=バクルを補佐するためにナースィルの治世に廃止されていたスルターンの代理職であるエジプト総督と財務を司るワズィール職が再び設けられた〔。同年8月にアブー=バクルは執政のカウスーンによって廃位され、上エジプトに移された後に殺害された〔。カウスーンはアブー=バクルの母親の夫であるエジプト総督トゥクズダムルを失脚させ、5歳のクジュクをスルターンに擁立した〔。 == 脚注 ==
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