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マンダン族 : ウィキペディア日本語版
マンダン
マンダン族 (Mandan) とは北米大陸インディアン部族である。
1837年の天然痘による壊滅前までは、「人間」という意味の「ヌマカキ」、または「メチュタハンケ」と自称した。「マンダン」と併せ、ダコタ・スー族の言葉で「マワタニ」とも呼ばれる。
アメリカノースダコタ州平原地帯最北部に定住する。ヒダーツァ族アリカラ族と共に「ミズーリ三大提携部族」MHAを結成している。

== 文化 ==
かつてのマンダン族の生活は、厳しい冬場に備えてトウモロコシを中心とした農作物を栽培し、男は平原でバッファロー狩りをするというものだった。トウモロコシとバッファローはマンダン族の精神であり、トウモロコシやバッファローの宗教的なダンスの儀式を行う。
元々はミズーリ川より東に定住していたが、徐々にミズーリ川の西北に移動し、18世紀の半ば頃にスー族の勢力下のノースダコタ中心の川口の近くに定住し、9つの村を結成した。後に敵対するアシニボイン族やスー族の攻撃、天然痘などに圧迫され、マンダン族はアリカラ族の村の反対側の、ミズーリ川の上流へ移動、生き残りはナイフ川対岸の2つの村に併合した。13の氏族から成る。
マンダン族や周辺部族は、「チュンキー」という遊びを娯楽としていた。これは、地面に置いた輪を槍で突き通すゲームで、ほぼ全米のインディアンに見られる遊びである。季節に関係なく、一年を通して行われた。
現在は下記のダム建設で農業が制限され、狩猟も禁止され、19世紀末から開始されたインディアン寄宿学校を中心とした徹底した白人への同化政策によって、伝統的な生活のほとんどが失われている。部族の言葉の話者も、一人の長老のみであり、部族語の再導入が図られている。現在、サカカウェア湖畔にインディアン・カジノを持ち、貴重な収入源となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マンダン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mandan 」があります。



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