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マント()は、主に屋外で着用される袖なしの肩から身体を被う外套の一種〔意匠分類定義カード(B1) 特許庁〕。釣鐘型の袖の無い、身頃(みごろ)のみの形状の外套である。 現代の日本では、子供服や婦人服として着用されることがある。 == 歴史 == マントの歴史は古く、その起こりは人間が狩猟を始め、その毛皮などをそのまま羽織って防寒具としたことから始まる。そのためマントのような衣服は各地で見ることができる。ここではヨーロッパ諸国のマントの歴史を見てみる。 人間が織物をし、布地を生産できるようになるとそれらを利用するようになってくる。まずは古代ローマやギリシアで用いられたヒマティオンやパルラなど四角い布を体に巻くような単純なものやトガのようにある程度裁断された布を体に巻いて着付けるようなものが出始める。ビザンティン時代になると半円形または台形に裁断されたものを肩から羽織り、片方の肩で留めるようなマントが見られるようになる。特に有名なのは、イタリアはラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画に見られるユスティニアヌス1世と皇后テオドラの姿である。二人が着ているのはパルダメントウムと呼ばれるマントで紫の生地を基本とし、襟周りは宝石に彩られ、裾周りは金糸による豪華な刺繍が見られる。 中世からルネサンスにかけて、マントは当時のファッションに欠かせないものとなってくる。特に支配層となる人たちとって、マントは権威を象徴するものとなり、より長く、より豪華になっていった。形状は主に半円形のものが多く、それを両肩を隠すように羽織り、胸元でブローチや紐で留める、または、頭から羽織って胸元で留める、またはそのまま包まる、片方の肩を出して体に巻きつけるなどの多彩なバリエーションで着られるようになる。ルネサンス期に描かれた聖母マリアの姿に当時の女性のマントの羽織り方を見ることができる。 産業革命以後、いろいろな名前をつけられたマントが出てくる。ニスデール () とはフードつきの長いボリュームのあるマントであるが、ニスデール伯爵夫人 (en) から名づけられたマントである。これは自分の夫をロンドン塔から逃がすために使われたため、その名前が付いた。また、四角い布の上部にギャザーを寄せ、開口部を調節できるように紐が通されたフードをつけたキンセールクローク () などが今に残っている。 さらに時代が進むと袖つきのオーバーコートの出現であまり見られなくなってくるが、礼装用のマントとしてオペラケープが見られるようになる。これはその名の通り盛装をしてオペラなどの観劇に向う際、それに合わせて用いられるマントであるが、中に着ているドレスによっては袖つきのコートを着ることができないため用いられた。 今日ではあまり見かけることができなくなったマントであるが、ショール状のマントやケープといった形で見ることができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マント」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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