|
マーク・ボスニッチ(Mark Bosnich、1972年1月13日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 == 経歴 == 1988年16歳の時にイングランドへ行きマンチェスター・ユナイテッドFCと契約。1990年4月30日ウィンブルドンFC戦でプロデビュー。1991-92シーズンにはユース時代を過ごしたシドニー・ユナイテッドFCへ戻り、1992年2月8日フリー移籍でアストン・ヴィラFCへ加入する。 ここでは正守護神として活躍。特に1993-94シーズンのリーグ杯準決勝トレンメア・ローヴァーズFC戦では相手のPKを3本も止めるなど素晴らしい活躍を見せ、タイトル獲得に多大な役割を果たした。1995-96シーズンには全38試合に出場してチームをリーグ4位に導くと、リーグ杯でも決勝でリーズ・ユナイテッドAFCを破り2度目の栄冠を手にした。1997年にはオセアニア年間最優秀選手賞を受賞。アストン・ヴィラFCでは7年半で227試合に出場した。 1999年、ヴィラでの活躍からピーター・シュマイケルの後釜としてマンチェスター・ユナイテッドFCへフリー移籍で復帰。同年のインターコンチネンタルカップではSEパルメイラスを破る原動力となり、リーグ優勝にも貢献した。 しかし、その後の地位は安泰とは言えず、翌2000-01シーズンにフランス代表のファビアン・バルテズが加入。セルティックFCへ一年間レンタルの話があったがこれを拒否、正GK争いするために残ることを決意〔Bosnich turns down loan switch to Celtic 〕したもの正GK争いに敗れただけではなく、第2GK争いでレイモンド・ファン・デル・ホウやロイ・キャロルにも敗れ出場機会がなかった。また、代表でもマーク・シュワルツァーの後塵を拝しクラブ・代表共に居場所を失った。 2001年1月18日にチェルシーFCへ移籍したが、怪我の影響でカルロ・クディチーニとエド・デ・フーイに次ぐ第3GKに甘んじてほとんどピッチに立てない状態が続いた。2002-2003シーズンの9月にはドーピング検査で陽性反応が示され9ヶ月の出場停止処分となり、クラブからも解雇された。〔Triumph and despair 〕この解雇が不当としてチェルシーFCを訴えたものの棄却された。〔プレミアリーグ、チェルシー側の勝訴を発表 〕 その後、2008年に母国で現役復帰し、翌年でのプレーを最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーク・ボスニッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|