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"ローラーボール" マーク・ロコ("Rollerball" Mark Rocco、本名:Mark Hussey、1951年5月11日 - )は、イギリス・マンチェスター出身の元プロレスラー。 日本では初代タイガーマスクのライバル、初代ブラック・タイガー(Black Tiger)として知られている。 == 来歴 == ドロップキックの名手として活躍した父のジム・ハジー(ジム・ハッシー)からはプロ入りを反対されていたが、父のツアー中に密かにコリン・ジョイソンのトレーニングを受け、1969年に英国マットにてデビュー〔(デビュー年には諸説あり、1972年または1973年ともされる〔)。 マックス・クラブトリーが運営を引き継いだデール・マーティンズ・プロモーションズ(ジョイント・プロモーションズの基幹組織)を主戦場にヒールのポジションで活動し〔、1977年にはダイナマイト・キッドと抗争を繰り広げた〔『Gスピリッツ Vol.16』P26(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808017)〕。1979年9月には "ローラーボール" マーク・ロッコのリングネームで国際プロレスに初来日し、阿修羅・原のWWU世界ジュニアヘビー級王座に2度挑戦している〔。 1980年から1981年にかけては、当時イギリスで武者修行中だったサミー・リーこと佐山聡と抗争を展開しており〔〔、佐山がタイガーマスクとして凱旋後の1982年4月には、覆面レスラーのブラック・タイガーに変身して新日本プロレスに初登場、タイガーマスクとのシングルマッチを行った。同年5月6日にはグラン浜田を破り、タイガーマスクの負傷による返上で空位となっていたWWFジュニアヘビー級王座を獲得。20日後の5月26日にタイガーマスクに敗れ短命王者で終わったものの、以降1980年代全般は新日本マットを日本での主戦場に活動。 1983年8月のタイガーマスク引退後はザ・コブラのライバルとなり、1984年12月28日にはWWFの本拠地ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに出場し、コブラとのWWFジュニア王座決定戦を行った〔。1986年からは地元の英国マットでフライング・フジ・ヤマダこと山田恵一と世界ヘビーミドル級王座を争い、1987年8月には凱旋帰国した山田を追って素顔のマーク・ロコとして新日本に参戦。1989年7月には再びブラック・タイガーに変身し、獣神サンダー・ライガーのIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦した〔。 1990年1月に最後の来日を果たしてからは英国のオールスター・プロモーションズ(後のオールスター・レスリング)に定着したが、1991年のデイブ・テイラーとの試合中に背中を負傷、翌日のワージングにおけるデイブ・フィンレイ戦を最後に現役を引退した〔〔。なお、共にヒールのポジションにいたロコとフィンレイは欧州では頻繁にタッグを組んでおり、1988年6月にはオーストリアのリンツ(オットー・ワンツ主宰のCWA)にて、トニー・セント・クレアー&ミレ・ツルノを相手にCWA世界タッグ王座を争った。1989年10月に行われたWWF英国遠征の前座試合にも、揃って出場している。 リタイア後は2003年2月と2006年8月に、オールスター・レスリングの主催したリユニオン・イベントに登場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーク・ロコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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