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マーティン・ジェームズ・モンティ : ウィキペディア日本語版 | マーティン・ジェームズ・モンティ
マーティン・ジェームズ・モンティ(Martin James Monti, 1921年10月24日 - 2000年9月11日)は、アメリカ合衆国出身の軍人。第二次世界大戦中には飛行士としてアメリカ陸軍航空軍に勤務していたが、1944年10月に枢軸国側へと寝返り、以後プロパガンダ活動に参加した。戦後、脱走について裁かれ、長期懲役刑が言い渡されていた。後に特赦を受けたが、反逆についても別途裁かれ、改めて長期懲役刑を課されている。 ==経歴== 1921年、豊かな夫婦の子として生を受ける。彼は7人兄弟の1人だった。父マーティン・モンティ・ジュニア(Martin Monti Jr.)はセントルイス生まれの投資仲介人(investment broker)であった〔World War I draft registration of Martin Monti, St. Louis, Mo., 5 June 1917〕。父方の祖父はスイスのイタリア語圏である出身の移民で、父方の祖母はイタリア出身だった〔U.S.Census, 1910, Supervisors Dsitrict #10, Enumerators District 299, Sheet 2B〕。母マリー・アントワネット・ウィーザウプト(Marie Antoinette Wiethaupt)はミズーリ出身で、母方の祖父母はドイツ系アメリカ人だった〔U.S. Census, 1910, Supervisors District #11, Enumerators District #18, Sheet 17A〕。第二次世界大戦中、7人兄弟のうちモンティ自身を除く男4人は全員がアメリカ海軍に入隊した。 1930年代のモンティはチャールズ・カフリン司祭の支持者であった。カフリンは反共主義・反ユダヤ主義を掲げ、ドイツやイタリアのファシスト政権への支持を表明していたことで知られた人物であった。カフリンが毎週行っていたラジオ放送は、1939年の第二次世界大戦勃発に伴う放送禁止まで多数のリスナーを抱えていた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーティン・ジェームズ・モンティ」の詳細全文を読む
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