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ミイラ肖像画(ミイラしょうぞうが)、またはミイラの肖像画()は、エジプトの古代末期ごろから死者のミイラとともに埋葬された、埋葬者の肖像画。木の板に描かれた伝統的な板絵に属する絵画作品で、自然主義的なその作品は、古代美術としてはきわめて優れた分野のひとつとみなされている。 ミイラ肖像画はエジプト各地で発見されているが、ファイユームのハワーラ (:en:Hawara) とアンティノポリス (:en:Antinoopolis) から出土した肖像画がとくによく知られており、ミイラ肖像画の総称として「ファイユームのミイラ肖像画」と呼ばれることもある。死者に麻やパピルスを貼り付けて石膏で固め、その上から肖像や装飾を描く風習はエジプト第1中間期まで遡ることができるが、ミイラ肖像画はエジプトが古代ローマ帝国の属州だった、紀元前1世紀ごろから発展した風習である〔Berman, Lawrence, Freed, Rita E., and Doxey, Denise. Arts of Ancient Egypt. p.193. Museum of Fine Arts Boston. 2003. ISBN 0-87846-661-4〕。 紀元前1世紀から1世紀前半にかけてミイラ肖像画が盛んに描かれたが、この風習がいつごろから見られなくなったのかは明確になっていない。近年の研究では、3世紀半ばごろまでミイラ肖像画が描かれていたのではないかとされている。希少な現存する古代の優れた絵画作品として、ミイラ肖像画は最大の規模を誇り、その後のエジプト国内の初期キリスト教時代(コプト美術 (:en:Coptic art) のみならず、ビザンティン美術や中世以降の西洋美術における板絵へと、その伝統を伝えていった。 ミイラ肖像画は、埋葬のためにミイラ化された死者の顔部分におかれていた。出土したときの状況から、埋葬者の身体に巻きつけられていた帯状の布に差し込まれていたと考えられている。現在世界各地に所蔵されているミイラ肖像画は、もともとのミイラから外されて保管されているが、カイロのエジプト考古学博物館、ロンドンの大英博物館では、ミイラと共に出土時の状態で所蔵されている。単独の人物の頭部、ないし頭部から胸部が、正面を向いた構図で描かれているものがほとんどである。美術史的な観点からすると、エジプト美術ではなく古代ギリシア・ローマの美術様式から派生したものである〔Oakes, Lorna. Gahlin, Lucia. Ancient Egypt: An Illustrated Reference to the Myths, Religions, Pyramids and Temples of the Land of the Pharaohs. p.236 Hermes House. 2002. ISBN 1-84477-008-7〕 。 ミイラ肖像画は、その制作技法で二つに大別できる。蜜蝋を用いたエンカウスティークと鶏卵を用いたテンペラで、エンカウスティークで描かれた肖像画に優れた作品が多い。現存するミイラ肖像画としておよそ900点が知られており〔Corpus of all known specimens: Klaus Parlasca: ''Ritratti di mummie'', Repertorio d'arte dell'Egitto greco-romano Vol. B, 1-4, Rome 1969-2003; a further specimen discovered since: Petrie Museum UC 79360, B. T. Trope, S. Quirke, P. Lacovara: ''Excavating Egypt'', Atlanta 2005, p. 101, ISBN 1-928917-06-2〕、それらの多くがファイユームの共同墓地から出土したものである。エジプトの暑く乾燥した気候の影響で作品の保存状況は非常に良好であり、往時の美しい色彩を留めている。 == 歴史 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミイラ肖像画」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fayum mummy portraits 」があります。 スポンサード リンク
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