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チェンドことミゲル・ポルラン・ノゲーラ(Miguel Porlan Noguera "Chendo"、1961年10月12日 - )は、スペインの元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(右サイドバック)。レアル・マドリードの下部組織出身であり、1997-98シーズンに引退するまでレアル・マドリード一筋だった。 快足を生かして度々サイドから攻撃参加をしてチャンスを作り、また守備でもカバーリングに長け〔「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号〕、ディエゴ・マラドーナのマークなどの重要な仕事を任された〔マラドーナ、練習見学 . Real Madrid C.F.、2010年11月20日〕〔「クラブ・スター列伝」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年4月5日号〕。 == 経歴 == ムルシア、トタナで生まれたチェンドは、15歳でレアル・マドリードの下部組織に加入。1982年4月11日のCDカステリョン戦でトップチームデビュー。翌シーズン、2試合のリーグ戦に出場した。 1983-84シーズン始め、フアン・ホセが右サイドバックとして出場していたが、怪我によってチェンドにスターティングメンバーの座が巡ってきた。フアン・ホセの怪我が完治すると再びチェンドはベンチに戻ったが、そのシーズンが終わる頃には再び定位置を確保、最終的に26試合に出場した。チェンドの4年目は、25試合のリーグ戦と11試合のUEFAの大会に出場。そのシーズン、レアル・マドリードはUEFAカップを制覇したほか、同じくマドリードを本拠地とするライバルアトレティコ・マドリードを下してコパ・デ・ラ・リーガも獲得。 その後の8シーズンは右サイドバックの位置を不動のものとして297試合に先発出場し、キンタ・デル・ブイトレの一員としてリーガ・エスパニョーラ5連覇などのタイトル獲得に大きく貢献した。しかしその後は定位置を失い、1998年5月20日のUEFAチャンピオンズリーグ・ユヴェントスFC戦が最後の試合となり、37歳のチェンドは引退した。 スペイン代表としては、1986年1月22日のソ連代表戦でデビューし、メキシコW杯と1990年のイタリアW杯に出場した。 引退後は同クラブで働き、現在は代表責任者をしている。2011年5月に故郷ムルシアが地震に襲われたことに対するレアル・マドリード対ムルシア選抜のチャリティーマッチでは〔レアルが震災復興慈善試合開催 . nikkansports.com、2011年5月20日〕、サプライズで現役時代の背番号と同じ2番であるリカルド・カルヴァーリョのユニフォームを着て10分間ピッチに立った〔チェンド:発案はモウリーリョで、すべては感動的なものになった . Real Madrid C.F.、2011年5月19日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミゲル・ポルラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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