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ミスティ・メイトレーナー(Misty May-Treanor, 1977年7月30日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手、元女子ビーチバレー選手。旧姓メイ(Misty May)。 女子ビーチバレーにおいて、世界歴代トップの通算112勝を誇る〔Career Leaders ''Beach Volleyball Database'' 2012年8月9日閲覧。〕。 カリフォルニア州ロサンゼルス出身、同ロングビーチ在住〔。夫にロサンゼルス・ドジャースのマット・トレーナー捕手(2004年11月に挙式)、従兄弟にプロテニスのテーラー・デント選手がいる〔。 == 来歴 == カリフォルニア州のニューポートハーバー高校、ロングビーチのカリフォルニア州立大学でインドアの選手としてプレーしキャリアを積む。1999年にバレーボールアメリカ合衆国女子代表に選出されたものの、ビーチバレーに転向した。 2000年、ホリー・マクピークとペアを組み出場したシドニーオリンピックで5位入賞。ケリー・ウォルシュ(現:ケリー・ウォルシュ・ジェニングス)とのペアで出場したアテネオリンピック(2004年)および北京オリンピック(2008年)において、2大会連続で1セットも落とすことなく、それぞれ金メダルを獲得した。 北京五輪後、リアリティ番組『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』のためにダンスの練習をしていた際、アキレス腱を負傷したが、その後、競技に復帰。 2010年には別のパートナーと組んでプレーしていたが〔、自身最後の公式戦となるロンドンオリンピック出場を踏まえ、「最後はやはり、この人と一緒にプレーしたい」〔ロンドンオリンピックでの金メダル獲得直後にNBCで行われたインタビューより(アメリカ時間の2012年8月8日夜放送)。〕という思いから、2011年にケリー・ウォルシュ・ジェニングスと再びペアを組んだ〔。 2012年、ロンドンオリンピックにおいて、メイトレーナーとウォルシュ・ジェニングスのペアは、わずか1セットを落としたのみでオリンピック3連覇となる金メダルを獲得。3大会を通して合計21試合に全勝し、セット数では42勝1敗という記録を残した〔Misty May and Kerri Walsh's three-peat won't be repeated ''NBC Olympics'' 2012年8月9日付〕。ビーチバレーにおけるオリンピック3連覇は、これが史上初である〔。メイトレーナー個人としては、通算112回目の公式戦優勝となった〔。 メイトレーナーはこれをもって、オリンピックのみでなく公式戦から完全に引退し、今後は子作りに励むという〔Misty May-Treanor & Kerri Walsh Jennings Talk Huge Olympic Win & Future Plans ''Access Hollywood'' 2012年8月9日付〕〔ロンドンオリンピックでは毎試合直後、NBCの試合中継カメラを通して、夫マットとドジャースを励ます言葉を送るのが恒例になっていたが、決勝戦後には「マット、以前から言ってた家族作りを始めましょう」というメッセージを送った。〕。また、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、客席からケリー・ウォルシュ・ジェニングスを応援するつもりだという〔。 また、ビーチバレー世界選手権でも、2003年、2005年、2007年に3連覇を達成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミスティ・メイトレーナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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