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マイケル・スティーヴン・ロリッチ(Michael Stephen Lolich, 1940年9月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身。 NPB南海ホークス・近鉄バファローズでもプレイしたロン・ロリッチは従兄弟にあたる。 == 経歴 == === デトロイト・タイガース === 6月30日にデトロイト・タイガースと契約。5月12日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。同年は5勝9敗・防御率3.55を記録。は4月24日のミネソタ・ツインズ戦でメジャー初完封。8月18日のロサンゼルス・エンゼルス戦では2回以降ノーヒットに抑えて3安打完封、9月1日のシカゴ・ホワイトソックス戦では7回1死までノーヒットに抑えて完封し、そこから3試合連続完封を記録〔するなど18勝9敗・防御率3.26・192奪三振・6完封の好成績。 は初の開幕投手を務め、15勝9敗・226奪三振を記録。 は14勝を挙げるが14敗を喫し、防御率4.77と不本意な成績に終わる。は5月23日から10連敗を喫するが、9月22日からの3試合連続完封記録するなど8・9月で9勝1敗・防御率1.31・5完封と調子を上げ、チームの優勝争いの原動力となるが、ボストン・レッドソックスに1ゲーム差で敗れた。 は8・9月で10勝を挙げて17勝9敗・防御率3.19を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第2戦に先発して1失点完投勝利を挙げ、3回にレギュラーシーズンでも打ったことのない本塁打を放った〔蛭間豊章「比類なき「投手の年」を象徴した「快刀乱麻」の応酬」『メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説」』、ベースボールマガジン社、2001年、雑誌67672-91、52頁・53頁〕。第5戦では初回に3点を先行されるがその後立ち直って完投勝利。3勝3敗のタイで迎えた最終第7戦ではボブ・ギブソンと投げ合い、2度の牽制アウトでピンチを凌ぐなど〔福島良一 歴代「豪腕投手」セレクション - ミッキー・ロリッチ『メジャーリーグ100年「記録」の達人。』ベースボールマガジン社、2002年、雑誌67673-04、78頁〕5安打1失点で完投し、チームは23年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。3勝・防御率1.67の活躍でシリーズMVPを受賞。「まさかギブソンに勝てるとは思わなかった」と語った〔。 は5月7日から9連勝。5月23日のエンゼルス戦、6月9日のシアトル・パイロッツ戦でキャリアハイの16奪三振を記録するなど前半戦で13勝2敗・防御率2.70・151奪三振の好成績で、自身初のオールスターゲームに選出される。後半戦は6勝に留まるが、キャリアワーストの122四球ながら19勝11敗・防御率3.14、サム・マクダウェルに次ぐリーグ2位の271奪三振を記録した。は14勝・230奪三振の一方でリーグ最多の19敗を喫した。 は前半戦で14勝を挙げて2年ぶりにオールスターゲームに選出され、8回から登板してロベルト・クレメンテに本塁打を浴びるもののセーヴを記録した。いずれもリーグ最多の25勝・308奪三振・29完投・376.0イニング・336被安打・45先発の成績で、最多勝利・最多奪三振の二冠を獲得。しかしサイ・ヤング賞の投票ではヴァイダ・ブルーに次ぐ2位に終わった。は前半戦17勝6敗・防御率2.39を記録し、2年連続でオールスターゲームに選出される。後半戦は5勝に留まるが、22勝14敗・防御率2.50・250奪三振の成績でチームの地区優勝に貢献。オークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発するが敗戦投手。第4戦では9回を1失点に抑えるも勝敗は付かず、チームは2勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票ではゲイロード・ペリー、ウィルバー・ウッドに次ぐ3位。 は16勝15敗の成績。は開幕から4連敗。その後は連勝と連敗を繰り返し、リーグワーストの21敗・142自責点・38被本塁打と不本意だった。 は後半戦で2勝12敗と不振で12勝18敗に終わり、連続200奪三振も6年で途切れた。12月12日にラスティ・スタウブ他1選手との交換トレードで、ニューヨーク・メッツに移籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミッキー・ロリッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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