翻訳と辞書 |
ミナミホマレ
ミナミホマレ(1939年 - 1962年)は日本の競走馬・種牡馬。第二次世界大戦中の1942年に、第11回東京優駿競走(日本ダービー)を優勝した。母フロリストはミナミホマレのほかに、帝室御賞典優勝馬を4頭も輩出した名繁殖牝馬である。 == 概要 == ミナミホマレの戦績はわずか4戦。デビュー戦を勝つと皐月賞にあたる横浜農林省賞典四歳呼馬でアルバイト(のちクリヒカリに改名)の2着に入っている。そして東京優駿競走の2週前に1戦を経て東京優駿競走に挑んだ。アルバイトが最後の直線で抜け出したが、ミナミホマレが一気に襲いかかりクビ差交わしてレコードタイムで優勝した。ミナミホマレはこのレースが最後の競走になったが、種牡馬として青森県の太平牧場、大塚牧場を経てタイヘイ牧場で供用され、ゴールデンウエーブ、ダイゴホマレの2頭の東京優駿優勝馬を輩出するなど成功した。ニホンピローエースの母の父でもある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミナミホマレ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|