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ミナミ電気館 : ウィキペディア日本語版
ミナミ無線電機[みなみむせんでんき]

ミナミ無線電機株式会社(ミナミむせんでんき)は、かつてミナミ電気館ザ・ミナミミナミムセンの屋号で秋葉原を中心に店舗を展開していた家電量販店
== 概要 ==
1945年、ラジオ店「ミナミ無線電機製作所」として埼玉県大宮市で創業。1948年には秋葉原に進出してミナミ無線電機株式会社に改組、早朝営業などのアイデア戦略と積極的な売り込みで業績を伸ばしていった。テレビ放送黎明期の1953年にはミナミテレビジョン株式会社を設立し、テレビ本体の製造を行っていた時期もあったが、大手電機メーカーの進出で撤退した〔。
1984年にそれまで本店を構えていた周囲一帯の土地を買い上げ、地上8階地下1階建の自社ビル・ミナミビルを建設。ミナミビルに開業した「ミナミ電気館秋葉原本店」は当時、単一店舗としては秋葉原で最大の売場面積を誇った。
1980年代後半には、首都圏でのフランチャイズ店舗展開の強化を進める一方で、松戸に家電とソフトの複合店を開店するなど、積極的に事業拡大を行い、最盛期には秋葉原の本店以下、新宿松戸勝田石岡日立水戸などに多店舗展開し、1991年11月期で110億円を売り上げるまでに成長した。
しかし、1989年頃を境に家電不況に加え、バブル崩壊による消費不振により売上が伸び悩み、秋葉原本店の家電売場を5階までに縮小。効率の悪かった6階、7階部分を使い輸入雑貨やギフト品、ブランドバッグなどの売場を設け、非家電部門強化による打開策を試みた。
1994年6月には亜土電子工業と業務提携し、「T-ZONEミナミ」として本店のパソコン売場を拡大した。当初はミナミ無線電機による運営だったが、同年末には規模を拡大して亜土電子工業による直営店舗となった。
「T-ZONEミナミ」は後に「T・ZONE.秋葉原本店」に名を変え、営業当時はラオックスの「ザ・コンピュータ館」と並ぶ日本屈指のパソコンショップとしても知られたが、パソコン需要の低迷とT-ZONEの経営主体の迷走を受け、2002年5月31日に閉店。一般家電売場だった1、2階のみミナミムセン秋葉原本店としての営業を継続したが、同年9月9日をもって閉店した。
同年10月にはビル全体をラオックスに賃貸し、総合エンターテインメント店「アソビットシティ」が開店したが、ミナミ無線電機が投資ファンドにビルを売却した関係で1年半後の2004年4月に閉店し撤退、同年8月からはドン・キホーテ秋葉原店が入居している。現在では、ドン・キホーテのほかに東京レジャーランド秋葉原2号店・AKB48劇場も入居している。
法人は2005年3月20日付で解散、2006年8月20日付で清算結了し、完全消滅した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミナミ無線電機」の詳細全文を読む



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