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ミニマル・ミュージック (Minimal Music) は、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。現代音楽の1ジャンル〔ウィム・メルテン『アメリカンミニマルミュージック』冬樹社、1985年、p165。〕〔ジャン=イヴ・ボスール『現代音楽を読み解く88のキーワード 12音技法からミクスト作品まで』音楽之友社、2008年、p100-102.161-163。〕。1960年代から盛んになった。単にミニマルと呼ばれることもある。 ==概要== ミニマル・ミュージックは、1960年代のアメリカで生まれた。この時期、テリー・ライリーの''In C''(1964年)やスティーヴ・ライヒの「イッツ・ゴンナ・レイン」(1965年)「カム・アウト」(1966年)などの作品が作られている。ラ・モンテ・ヤングの弦楽三重奏(1958年)をミニマル・ミュージックの始まりとする説もある〔小沼純一『ミニマル・ミュージック その展開と思考』青土社、2008年、p21。〕。グレン・グールドは著作集でライリーの「In C」を「おかしな音楽だ」と述べたが、そのくらいインパクトは強かった。まだ商業音楽はミニマリズムの影響を受けておらず、典型的なコード進行に基づいていた。ヤングは「ミニマル」のルーツをアントン・フォン・ウェーベルンの後期作品に求めている。ウェーベルンの後期はオクターブ跳躍は厳格に禁じられ、すべて同音の反復で処理している。その典型例は「管弦楽のための変奏曲」である。 同時期にヨーロッパではルチアーノ・ベリオ、ジェルジ・リゲティ、ヘンリク・グレツキらも単純反復による音楽語法を試みており、これらの作風はアメリカのミニマル・ミュージックと類似しているが、これも諸説が飛び交っており、「ルチアーノ・ベリオが在学中のライヒ〔有名な「調性で書きたければ書いてもよい」というのは、当時のベリオの最新作に使われたテクニックであった。ミニマル・ミュージックの始祖はベリオの「パッサジョ」あるいは「エピファニー」と呼ばれている。この二つの作品の中で、彼は同音反復やシーケンス反復をセリー主義全盛の中で多用した。このアイデア「のみ」に絞ってイッツゴナレインをスティーブライヒが生み出したのが、1965年。パッサジョとエピファニーの脱稿は、ともに1962年である。〕にミニマル技法を教えた」という説も存在する。また、1968年には当時音楽評論家として活躍していたマイケル・ナイマンがコーネリアス・カーデューの作品“''The Great Digest''”を評す際、当時は抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだ〔ナイマン・「実験音楽 ― ケージとその後」〕。その一方でラ・モンテ・ヤングやトニー・コンラッドのように「何もせず、ただコードあるいは音を鳴らし続ける」ミニマリズムを追求した結果、音律の探求へ向かったグループも存在する。 エリック・サティの後期作品は執拗な反復によって曲が成り立っており、ジョン・ケージの初期作品に影響を与えているという点で、ケージの後に続いたミニマル・ミュージックへと続く音楽史の脈絡に深く影響している。なお、マイケル・ナイマンは1974年の著述“''Experimental Music: Cage and Beyond''”(日本語訳「実験音楽 ― ケージとその後」)でのラ・モンテ・ヤングに言及した節において、ヤングのヴェーベルン聴取を取り上げ、「ミニマルなプロセスの音楽」の起源をセリエリズムとしている。ヤングは、セリーが形を変えて提示されても同一音高が同一オクターブで演奏される傾向を「静的」と解釈可能である、と見たのである。 日本におけるミニマル・ミュージックとしては、藤枝守らが、コンピュータを用いたミニマル・ミュージックに類似する反復語法を自身の語法に取り入れており、これを「寄生の作曲法」と呼んでいる。作曲家の久石譲は、自らのコンサートの一部において、実験的作品としてミニマル・ミュージックの語法で書かれた作品を上演している。また、反復を基本とするオスティナート語法での作曲を長年続けていた伊福部昭のもとへテリー・ライリーが表敬訪問した。ヨーロッパではアメリカへの反感からミニマル・ミュージックの受容は遅れたが、1990年代からのドイツの若手の作曲家からは反復語法をためらわない一連の「新しい単純性」が巨大な潮流になっていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミニマル・ミュージック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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