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ミノル・ウエキ
ミノル・フランシスコ・ゼイヴィエル・ウエキ(、1931年 - )は、パラオの医師、実業家、政治家。Ueki Belau Development Incorporated 代表取締役。 サクラ会会長、ベラウ国立病院院長、元老院議員、厚生大臣、日本駐箚パラオ特命全権大使などを歴任した。 == 来歴 ==
=== 生い立ち === 大日本帝国の委任統治領である南洋群島にて生まれた。父は愛知県出身の日本人であり、母はパラオ人であった。父は南洋群島で木材業を営んでいたが40代で病死し、その後は母により育てられた。父親が日本人であるため、日本人子弟向けの小学校や中学校に通った。しかし、学校では日本人の級友らから「おい、トーミン」(「トーミン」は「島民」の意味)などと呼ばれ、地元のパラオ人集落に帰れば「日本人」と呼ばれたため、苦しむことになった。太平洋戦争の際には、中学生だったため勤労奉仕に従事し、飛行場の建設などを手伝っていた〔早坂隆「『親日の国』を蹂躙する中国人と韓国人」『文藝春秋』93巻7号、文藝春秋、2015年6月1日、302頁。〕。敗戦後、日本人は内地に強制送還されることが決定し、日本人の長男であるとの理由から内地に送還されることになった。なお、パラオ人の母や、嫡子でない姉や弟は現地に残されたため、はなればなれとなった。2年後、再びパラオ諸島に戻った。パラオ諸島をはじめとする南洋群島は、アメリカ合衆国の信託統治領である太平洋諸島となっていた。アメリカ合衆国の本土に渡り、医学を学んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミノル・ウエキ」の詳細全文を読む
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