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ミハイル・シャルダコフ : ウィキペディア日本語版
ミハイル・シャルダコフ
ミハイル・ニコラエヴィチ・シャルダコフ(、1895年 1月16日(ユリウス暦1月4日)- 1961年 3月19日)は、ソビエト連邦心理学者。教育学博士。ゲルツェン名称レニングラード教育大学心理学講座教授。専門は思考心理学。パブロフ反射学の後継者。学童における注意の発達について、反射学の教育学への転用を実践した〔ガリペリン・カビリニツカヤ共著『注意の実験的形成』明治図書出版、1979年〕。
==生涯==

* 1895年、ウラル工場の労働者の家庭に生まれる。
* 1911年、工場学校の教師となる。
* 1927年、ペルミ大学の史学部を卒業。そののち、ゲルツェン名称レニングラード教育大学院に入学。
* 1930年、ゲルツェン名称レニングラード教育大学の心理学講座の講師に就任。
* 1941年-1945年の大祖国戦争の間の数年間、カリーニン教育大学の学長。
* 1945年、ゲルツェン名称レニングラード教育大学に復帰し、心理学講座の主任をつとめる〔シャルダコフ著『学童の思考』明治図書出版、1971年〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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