翻訳と辞書
Words near each other
・ ミールダルスヨークトル氷河
・ ミールダルス氷河
・ ミールダールスヨークトル
・ ミールダールス氷河
・ ミールヌイ
・ ミールヌイ基地
・ ミールプル・ハース駅
・ ミールホセイン・ムーサヴィー
・ ミールボーンズ
・ ミールワーム
ミール・アクバール・アリ・カーン
・ ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー
・ ミール・アリー・シール・ナヴァーイー
・ ミール・ウスマーン・アリー・ハーン
・ ミール・オスマーン・アリー・カーン
・ ミール・オスマーン・アリー・ハーン
・ ミール・カマルッディーン
・ ミール・カマルッディーン・ハーン
・ ミール・カマルディン
・ ミール・カーシム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ミール・アクバール・アリ・カーン : ウィキペディア日本語版
シカンダル・ジャー

シカンダル・ジャーウルドゥー語:سکندر جاہ, Sikandar Jah, 1768年11月11日 - 1829年5月21日)は、インドデカン地方ニザーム藩王国(ハイダラーバード藩王国)の第6代君主(ニザーム、在位:1803年 - 1829年)。アーサフ・ジャー3世(Asaf Jah III)とも呼ばれる。ハイダラーバードの双子都市シカンダラーバードは彼にちなんで名付けられた。
==生涯==
1803年8月6日、父である藩王ニザーム・アリー・ハーンの死により、藩王位を継いだ〔Hyderabad 6 〕。なお、その藩王位の相続はムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世に公認された。
父王の死後、マラーター同盟とイギリスとの間に第二次マラーター戦争が勃発した際には後者に味方し、ベラールアフマドナガルの領土を与えられ、藩王国の版図拡大に成功している〔チョプラ『インド史』、p.169〕。
その一方で、藩王国の支配・財政に重く圧しかかることになるイギリスハイダラーバードへのさらなる駐屯を許してしまう。
ニザーム藩王国は19世紀になっても、役人や軍人への給与地制度であるジャーギール制による封建的土地所有制など中世さながらの政治が行われ、その後進性が問題視されていた〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.325〕。
そのため、1820年12月から赴任したイギリスの駐在官チャールズ・メトカーフが藩王国の内政改革に着手が行われ、結果的にイギリスの内政介入を許す結果となってしまった〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.44〕。
1829年5月21日、シカンダル・ジャーは死亡し、息子のナーシル・ウッダウラが藩王位を継承した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シカンダル・ジャー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.