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ムアンチャイ・キティカセム : ウィキペディア日本語版
ムアンチャイ・キティカセム

ムアンチャイ・キティカセムMuangchai Kittikasem、男性、1968年11月11日 - )は、タイプロボクサーチャイナート県出身。身長165cm。元IBF世界ライトフライ級王者、元WBC世界フライ級王者。
== 来歴 ==
ムエタイ選手としてキャリアを積み、1988年6月10日、ボクシングデビュー(デビュー戦としては異例の10回戦で判定勝ち)。
1989年5月2日、7戦目で世界初挑戦。IBF世界ライトフライ級王者タシー・マカロスフィリピン)に挑み、12回判定勝ち。無敗の世界王者に輝いた。以後、3度の防衛に成功。
1990年7月29日、4度目の防衛戦。米国アリゾナ州フェニックスマイケル・カルバハル(米国)と対戦。7回TKO負けで王座から陥落し、プロ初黒星を喫した。
1991年2月15日、2階級制覇を懸けての世界再挑戦。同国人のWBC世界フライ級王者ソット・チタラダに挑み、6回TKO勝ち。2階級制覇に成功した。
1991年5月18日、初防衛戦。敵地で元WBC世界ジュニアフライ級王者(15度防衛)張正九韓国)と対戦。3度のダウンを奪われ、王座陥落寸前にまで迫られるも、最終12回、残り1分を切ったところで2度のダウン奪い返してのTKO勝ち(張は2階級制覇を果たすことなく、この試合を最後に引退)。
1992年2月28日、3度目の防衛戦でチタラダと再戦し、9回TKO勝ち。
1992年6月23日、4度目の防衛戦は初の日本での試合。両国国技館でユーリ海老原(後の勇利アルバチャコフ/ロシア出身/協栄ジム所属)と対戦。ダウン応酬の激戦の末、8回KO負け。王座から陥落した。なお、この試合はJBC等の主催する年間表彰において年間最高試合賞に選ばれている。
1993年3月20日、雪辱・王座返り咲きを懸け、母国タイのロッブリーでユーリと再戦するも、9回TKO負けで王座返り咲きに失敗。なお、この試合も前年度に続き年間最高試合賞に選ばれた。
その後、1994年は1試合も行わず。1995年は2試合、1996年は1試合を行ったが、以降は再び長期間試合から遠ざかる。
1999年2月22日、2年9か月ぶりの試合で仲里繁と対戦し、4回TKO負け。結局、この試合を最後に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムアンチャイ・キティカセム」の詳細全文を読む



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