翻訳と辞書
Words near each other
・ ムィハーイロ・パウロヴィチ・サブリン
・ ムィハーイロ・パーウロヴィチ・サブリン
・ ムィハーイロ・パーウロヴィチ・サーブリン
・ ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ
・ ムィハーイロ・フレシェーヴシクィイ
・ ムィルザカン・スバノフ
・ ムイ
・ ムイシェランガ
・ ムイシキン
・ ムイシュキン
ムイズウッディーン=ムバーラクシャー
・ ムイズッディーン・カイクバード
・ ムイズッディーン・バフラーム・シャー
・ ムイソヴォイ
・ ムイチシチ
・ ムイチン
・ ムイッズ
・ ムイッズ・マスウード
・ ムイティシチ
・ ムイト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ムイズウッディーン=ムバーラクシャー : ウィキペディア日本語版
ムバーラク・シャー (サイイド朝)

ムバーラク・シャー(? - 1434年)は、インド北部を支配したサイイド朝の第2代君主(在位:1421年 - 1434年)。
初代君主であるヒズル・ハーンの子。1421年の父の死で即位した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151〕。父と同じく勢力拡大を目指して強攻策を採る。父は前王朝のトゥグルク朝の貨幣をそのまま使用していたが、ムバーラクは1429年に独自の貨幣を鋳造した。さらに父が服属していた宗主国・ティムール朝からの独立を宣言する。これがシャー・ルフの怒りを買って討伐を受けるが、これを撃退して独立を明確化した。
しかしこれは逆にティムール朝の後援を得ることができなくなったことも意味していた。これにより、逆に王朝内での権力闘争を勃発させる。もともとデリー一帯を支配するしかないほど君主権が脆かったムバーラクではこの権力闘争を抑えきれず、1434年に宰相サルヴァル・アルムルクに殺されてしまった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151〕。
後を甥のムハンマド・シャーが継いだ〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151〕。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムバーラク・シャー (サイイド朝)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.