|
ムスタファ4世(Mustafa IV. , 1779年9月8日 - 1808年11月15日)は、オスマン帝国の第29代皇帝(在位:1807年 - 1808年)。第27代皇帝アブデュルハミト1世の子でマフムト2世の兄。 ==生涯== ===即位と廃位=== 1807年、従兄の第28代セリム3世が西洋化改革を推進したために保守派の反発にあい、イェニチェリによって廃位されたのを受けて擁立され即位した。 しかし、セリム3世の退位によってイスタンブルから退避したセリム3世派の人々は、ブルガリア北部のルーセを支配するアーヤーン(地方名士)・アレムダル・ムスタファ・パシャを頼っていた。彼らの要請を受け入れたアレムダルはセリム3世の復位を掲げて挙兵し、翌1808年7月にイスタンブルに迫った。 ムスタファ4世はセリム3世の復位によって自身の帝位や命が脅かされることを怖れ、幽閉中のセリム3世を殺害させた。イスタンブルに入ったアレムダルらはセリム3世の死を知り、やむなくもう1人の帝位継承権者であるムスタファ4世の異母弟マフムト2世を担ぎ上げて即位させた。弟の即位によってムスタファ4世は廃位され、幽閉された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムスタファ4世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|