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ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ : ウィキペディア日本語版 | ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ(、1176年以前 - 1228年)は、アレクサンドル・ネフスキー、レフ・ダニーロヴィチの外祖父にあたる人物である。聖名フョードル、またウダトニィー(、「幸運な・成功した」の意)の通称を持つ。トリポリエ公:1193年 - 1203年。トロペツ公:1206年 - 1213年。ノヴゴロド公:1210年 - 1215年、1216年 - 1218年。ガーリチ公:1215年 - 1216年、1219年 - 1226年。トルチェスク公:1203年 - 1207年、1226年 - 1228年。才覚のある司令官であり、再三の会戦に勝利した。 ==出自と年長順== 父はムスチスラフ・ロスチスラヴィチであり、おそらく父の死後に生まれたとされる。ただしその場合、父と同じ名をつけることは、12世紀のリューリク朝の者としては名誉に関わる、あまり一般的ではない命名となる。 V.V.ボグスラヴスキー(ru)の指摘では、ムスチスラフ・ロスチスラヴィチの最初の妻である、リャザン公グレプの娘フェオドシヤとの間に生まれた唯一の子で、三人の兄弟の中でもっとも年長であるとされている。ただしその場合、ムスチスラフがノヴゴロドを統治した際に、なぜプスコフを兄弟のウラジーミル(ru)が統治することになったのかという疑問が残る。 別の説では、ガーリチ公ヤロスラフの孫とされる〔〕。これは、ムスチスラフのガーリチ公請求が成功したことを根拠とする説である。
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