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ムタイル・モモドゥ : ウィキペディア日本語版
ムタイル・モモドゥ

ムタイル・モモドゥMutairu Momodu, 1975年6月2日-)は、ナイジェリア出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはフォワードMutari Momodu, Momodu Mutairuとも表記されている。
== 経歴 ==
キング・ファハド・カップ1995の大会終了後に、ムタイルを巡って日本サウジアラビアのクラブが争っていた。チームメイトのに相談した際、日本に行くべきと助言を受け日本行きを決断〔Present Eagles should be playing for Under-17 — Mutairu 〕。
1996年、ジャパンフットボールリーグ富士通川崎に当時の監督であった城福浩の説得もあり同じナイジェリア人のMFウィルソンなどと共に入団、翌年もJリーグ準会員となった川崎フロンターレに在籍し、Jリーグ史上初のナイジェリア人選手となった(同年の7月にはアビスパ福岡マイケル・オビクが入団している)。同シーズンは19得点を記録し、コンサドーレ札幌バルデスの40得点には遠く及ばなかったもののリーグ2位の得点を記録した。1998年のシーズンもフロンターレでプレーしたのち、1999年にモンテディオ山形へと移籍した。
その後、2008年に母国ナイジェリアのに復帰〔Dolphins FC are next for Kotoko 〕したが、同年8月に解雇されている。
引退後のインタビューで、キャリアの中で最高の瞬間の1つに日本でプレーしたことを挙げている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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