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モノモタパ王国(Monomotapa)もしくはムタパ王国(Mutapa)は、かつてアフリカ大陸の南東部に存在していた国家。南部アフリカのザンベジ川とリンポポ川の間に広がり、支配領域にはジンバブエ共和国とモザンビーク共和国の領土にあたる地域が含まれている。最盛期の16世紀半ばには北はザンベジ川、南はサビ川、西はジンバブエ高原北西部のマニャメ川、東はインド洋に影響力を行使していたが、一部のポルトガル語文献にはアンゴラから喜望峰までを支配する大国として誇張して記されている〔吉國『グレートジンバブウェ』、118頁〕。 モノモタパ、ムタパのほか、ムニュムタパ、ムウェネムタパ、ベノモタパなどの呼称も用いられる。ポルトガル語に由来する「モノモタパ(Monomotapa)」は「征服した土地の王子」を意味する「Mwenemutapa」という称号の音訳であり、ムウェネ(Mwene)は「王子」、ムタパ(Mutapa)は領土を意味する言葉である。モノモタパという称号が王国自体を指す言葉として使われるようになり、ある時期には「モノモタパ」の語が王国の支配領域と共に地図上に併記されていた。 ルヤ川の源流付近に存在するツォンゴンベ(ゾンゴンベ)遺跡は、最初期のモノモタパ王国の首都に推定されている〔吉國『グレートジンバブウェ』、115-116頁〕。16世紀のモノモタパ王国の首都はカミ川の近辺に存在していたと考えられているが、正確な位置は判明していない〔池谷「南部アフリカ」『アフリカ史』、323-324頁〕。 == 歴史 == === 王朝の起源 === モノモタパ王国の始まりは15世紀前半にさかのぼる〔Oliver, page 203〕 。ジンバブエ王国に従属するショナ人のカランガの貴族が放牧地や金鉱を求めて北に進み、彼らはやがてモノモタパ王国の支配者となったと考えられている〔。口承では、ムトタという名前の王子が王朝の始祖だと伝えられている〔。ムトタの後継者であるマトペは、建国されたばかりの王国をインド洋沿岸に至る地域の大部分を支配する国家に拡張した〔。マトペの軍隊はマニカ王国、沿岸部のキテベ王国とマダンダ王国を制圧したと言われている〔。 ポルトガル人によって採取されたムトタとマトペによるモノモタパ王国の創始を述べた口承の正確性は疑問視されている〔吉國『グレートジンバブウェ』、113-114頁〕。しかし、王朝の創始者がアフリカ大陸の南から北に勢力を拡大する伝説は、出土品の分布といった考古学的史料とも矛盾せず、先に存在したジンバブエ王国の「石の家」建築文化も南から北に拡大したことが指摘されている〔吉國『グレートジンバブウェ』、114-115頁〕。 ポルトガル人がモザンビークの沿岸部に到達したときには、モノモタパ王国は南アフリカにおける最大のショナ人の国家に成長していた〔Oliver, page 204〕。1506年にポルトガル人書記ディオゴ・デ・アルカソヴァが作成した報告書には、モノモタパ王国の宮廷で起きた権力闘争のためにソファラへの金の流通が停滞していることが記されている〔歴史学研究会編『世界史史料』2(岩波書店, 2009年7月)、356-357頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モノモタパ王国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kingdom of Mutapa 」があります。 スポンサード リンク
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