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ムハンマド・ハーシム・ハーン(、Mohammad Hashim Khan、1886年 - 1953年10月26日)は、アフガニスタンの政治家。ムハンマド・ナーディル・シャーの王位獲得に貢献し、17年間(1929年 - 1946年)に渡って首相を務めた〔「日本・アフガニスタン関係史年表」『日本・アフガニスタン関係全史』関根正男編、明石書店、2006年、282頁〕。 ==経歴== ザーヒル・シャー国王の叔父であるユースフ・ハーンの息子。ナーディル・シャーの異母弟。 *1907年10月 – ハビーブッラー・ハーン国王の警護隊長 *1916年 – ヘラート総督 *1919年12月 – ジャラーラーバード知事 *1920年 – 東部州知事 *1922年~1924年 – 国防相 *1924年3月~1926年7月3日 – 駐ソ大使 1926年7月、フランスに渡り、ナーディル・シャーの側近に加わった。 1929年2月、ナーディル・シャーと共にアフガニスタンに帰国し、その王位獲得に貢献した。同年11月、カーブル奪取後、首相兼内務相に任命。1929年11月14日~1946年5月、首相。 1946年、引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムハンマド・ハーシム・ハーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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