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ムハンマド・モルシー : ウィキペディア日本語版
ムハンマド・ムルシー

ムハンマド・ムハンマド・ムルシー・イーサー・エル=アイヤート(、1951年8月20日 - )は、エジプト学者政治家学位工学博士南カリフォルニア大学1982年)。名前について日本語メディアは、モルシムルシ、一部中東専門家はムルスィーと表記している。人民議会議員として自由と公正党の党首を務めた。
アラブの春における民主化後では最初となるエジプト大統領に選出されるが、政教分離などの世俗的な価値観が浸透していないエジプトでイスラム主義に基づいた統治を進め、モハメド・エルバラダイら国内の世俗派から強い反発を受けた。政権後半にはイスラム主義に基づいた新憲法制定を目指した事で大規模な反政府運動が発生し、最終的に政権担当能力を疑問視したアブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣らによるクーデターにより解任され、身柄を拘束された(2013年エジプトクーデター)。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
シャルキーヤ県アル=アドワ村の農家に生まれる。1975年カイロ大学工学部を卒業後、1978年に同大学で工学修士、1982年南カリフォルニア大学において工学博士を取得。1982年から1985年までカリフォルニア州立大学ノースリッジ校助教授となり、その間、エンジニアとしてアメリカ航空宇宙局(NASA)に勤務しスペースシャトルの開発業務に助手として参加していたこともある。1985年にエジプトに帰国しザガジグ大学の教授となり、2010年までつとめた。
2000年の人民議会選挙において無所属で当選し、2005年までムスリム同胞団議員団長を務めた。2011年の革命後にムスリム同胞団が母体となって設立された自由と公正党の党首に選ばれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムハンマド・ムルシー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mohamed Morsi 」があります。



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