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ムルシリ3世[むるしり3せい] ムルシリ3世(Muršili III, ?‐紀元前1244年以後)は、ヒッタイトの大王(在位:紀元前1270年頃 - 紀元前1264年頃)。フルリ語では「ウルヒ・テシュプ Urhi-Tešub」と表記される。叔父のハットゥシリ3世と敵対して追放され、王位を奪われた。 == 来歴 ==
=== 即位 === 前王ムワタリの息子として生まれた。彼は側室の産んだ庶子であったが、父の死によりヒッタイトの継承法に基づいてヒッタイト王となった。それはエジプトのファラオ・ラムセス2世の治世9/10年目であるとされ、すなわち紀元前1281/80年または1270/69年となる。彼の弱みのある立場は、のちのちムワタリの兄弟らとの対立の火種となる。 前王ムワタリは首都をタルフンタッシャに遷していたが、ムルシリ3世は再び旧都のハットゥシャに復した。それにはおそらく叔父ハットゥシリの献言があったとされる。同様にハットゥシリの献言により、ムワタリにより追放されていた皇太后(かつてのタワナンナ)タヌ・ヘパトやアムル王ベンテシナの名誉を回復し復旧させた。タヌ・ヘパトに対する恩赦の際は自分の意志によることを強調している。しかし他の勅令では叔父ハットゥシリと対立することになった。そのためシパツィティを相談役に据えたが、シパツィティとその父がハットゥシリと土地をめぐって対立し、謀反を起こしたためアラシア(キプロス島)に追放した。そのほかシェハの王マナバタルフンタを解任して召還し、息子のマシュトゥリと交代させ、ハットゥシャ市長ミッタナムワの息子から書記官長の職を剥奪した。こうした新人事も彼の将来に暗い影を落とす。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムルシリ3世」の詳細全文を読む
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