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ムーアズミルの戦い()は、南北戦争の1862年7月28日に、ミズーリ州中央部、現在のキャラウェイ郡のキャルウッド近く、オーバス・クリーク沿いで起こった戦闘である。この戦闘や、1週間後に起こったカークスビルの戦い、さらにその5日後のコンプトンズフェリーの戦いによって、ミズーリ州北部にいた南軍の徴兵担当達を追い出すことになった。 == 背景 == アーカンソー州のピーリッジの戦いと、それに続いて南軍が同州北部から撤退した後、南軍を立て直すために徴兵担当がミズーリ州中に派遣された。南部のゲリラ部隊が徴兵担当を支援し、共に戦うことも多かった〔Banasik, Michael E, ''Embattled Arkansas: The Prairie Grove Campaign of 1862'', Broadfoot Publishing Company, 1996, pages 116-118〕。 ミズーリ州で戦争が始まってからゲリラ闘争が続いていたが、1862年初期の暖かい季節になると共にその激しさが増した〔Nichols, Bruce, ''Guerrilla Warfare in Civil War Missouri, 1862'', McFarland & Company, 2004, page 60〕。激しくなるゲリラと闘うために、北軍のヘンリー・ハレック将軍は3月13日にミズーリ州民に対して一般命令第2号を発し、「ゲリラ部隊に加わる者は、捕まえたときに戦争捕虜としては扱わず、強盗や殺人者と同様に絞首刑に処する」と警告した〔''The War of the Rebellion: A Compilation of the Official Records of the Union and Confederate Armies'', Series I, Volume 8, page 612〕。アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスは1862年4月21日に、「パルティザン・レンジャーズ」を結成する者達に命令書を与えることで、ゲリラ戦を合法化する動きで対応した〔。しかし、北軍当局はこの処置を認めなかった。5月29日、ジョン・マカリスター・スコフィールド准将はミズーリ州兵に対して一般命令第18号を発行した。それには「武器を持ち不法な戦いに関わっているときに捉えられた場合、その場所で射殺する」と書かれていた〔''The War of the Rebellion: A Compilation of the Official Records of the Union and Confederate Armies'', Series 1, Volume 18, pages 402-3〕。 ゲリラ戦と徴兵の動きが増え、ミズーリ州内で新しいミズーリ州志願騎兵連隊以外ほとんど全てがいなくなってしまうと、ゲリラ行動と南軍の徴兵活動が夏を通じてミズーリ州を厳しい状況にし始めた。ミズーリ州兵の指揮官や北軍志願兵がジョセフ・C・ポーターの徴兵担当と関連するゲリラに集中し始め、7月19日にはバッサーヒル、7月22日にはフロリダ(ミズーリ州)、7月24日にはサンタフェ(同)と小戦闘が続いた。 一方で7月22日、スコフィールド准将はミズーリ州暫定知事ハミルトン・ローワン・ギャンブルの援助を得て、町の防衛に十分な組織を立ち上げるために、徴兵ミズーリ民兵隊を強制徴募するよう命じた〔''The War of the Rebellion: A Compilation of the Official Records of the Union and Confederate Armies'', Series I, Vol. 13, page 12〕。スコフィールドは一般命令第19号を発し、働ける忠実な男性全ての民兵隊への入隊を要求し、不忠な者はそれを登録することとしていた。 これらの命令で地方の守備任務や警察任務にあたる民兵隊を立ち上げて、ミズーリ州兵にゲリラや徴兵担当を追撃する自由度を与えたが、この政策は南部に同調するものがその旗幟を鮮明にさせることにもなった。数多い者がゲリラ隊に加わるか、徴兵担当について南軍入隊の道を選んだ〔Nichols, Bruce, ''Guerrilla Warfare in Civil War Missouri, 1862'', McFarland & Company, 2004, pages 103-105〕。ジョセフ・C・ポーターとジョン・A・ポインデクスターの南軍徴兵担当部隊は、南軍同調者がその軍旗の下に集まって来たので、その一般命令の恩恵を受けた形になった。一方でこの最新のミズーリ州民兵隊が戦場に出る用意ができるまでに数週間があるだけだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムーアズミルの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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