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メアリー・カサット : ウィキペディア日本語版
メアリー・カサット

メアリー・スティーヴンソン・カサットMary Stevenson Cassatt, 1844年5月22日 - 1926年6月14日)は、アメリカ画家版画家。成人してからはフランスで生活することが多かった。そこで最初に友人になったのがエドガー・ドガで、後に印象派の展覧会にも出品した。
カサットは、独特の力強いタッチで、母と子の親密な絆を、さらに、女性の社会的および私的生き方を、何度となく描き続けた。
== 初期 ==

メアリー・カサットはペンシルベニア州アレゲニー(現在はピッツバーグの一部)に生まれた。父親のロバート・S・カサットは成功した株式仲買人、母親のキャサリン・ケルソー・ジョンストンは銀行家の家の出身という恵まれた環境だった。教育に不可欠だとして、世界中を旅行しながら育てられた。10歳になるまでに、ロンドンパリベルリンなど、いくつものヨーロッパの首都を回っていた。ちなみにカサットは、ロバート・ヘンリー:en:Robert Henri)のいとこでもあった〔Perlman, Bennard B., ''Robert Henri: His Life and Art'', page 1. Dover, 1991.〕。
カサットはプロの画家になろうと決めた。もちろん家族は反対したが、カサットは自分の意志を貫いた。フィラデルフィアペンシルベニア美術アカデミーで絵の勉強をはじめたが(1861年 - 1865年)、いっこうに進まない授業と男子学生の見下した態度に我慢できず、ちゃんとした巨匠の下で勉強しようと、1866年、パリに渡った。
しかし、普仏戦争が始まってアメリカに帰国した。カサットは家族の元に住むが、小さな町だったので画材やモデルを得ることが難しかった。画材を買おうにも、父親はカサットが画家になることになおも反対だったので、生活に必要な金しか渡してくれなかった。1871年、ピッツバーグの大主教から、ヨーロッパ中を旅行した後でいいから、イタリアの絵画を模写して欲しいという依頼があり、カサットは再びヨーロッパに渡った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メアリー・カサット」の詳細全文を読む



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