翻訳と辞書
Words near each other
・ メアリー・オライリー
・ メアリー・オルウィン
・ メアリー・オンヤリ
・ メアリー・カサット
・ メアリー・カターモール
・ メアリー・カフリン
・ メアリー・カリロ
・ メアリー・カルドア
・ メアリー・カルドー
・ メアリー・カルヴィ
メアリー・カルー
・ メアリー・カー
・ メアリー・カーター
・ メアリー・カーター・レイタノ
・ メアリー・ガーデン
・ メアリー・キダー
・ メアリー・キディー
・ メアリー・グッド
・ メアリー・グレース・バルド
・ メアリー・ケイト・オルセン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

メアリー・カルー : ウィキペディア日本語版
メアリー・カルー

メアリー・カルーMary Louise Carew Armstrong1913年9月8日2002年7月12日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手である。彼女は、1932年に開催されたロサンゼルスオリンピック4×100メートルリレー走金メダルを獲得した。
== 経歴 ==
カルーは陸上選手としては小柄な部類に入っていたが、短距離走での爆発的なスタートダッシュを武器にしてAAU室内選手権の40ヤード〔36.576m。〕 走競技を1929年から1932年にかけて4連覇していた。特に1930年と1931年に出した5秒2の記録は、当時の世界室内タイ記録だった。他に、1930年にはAAU室外選手権でも50ヤード〔45.72m。〕 走競技で優勝している。但し、彼女にはレースの終盤で失速する傾向があり、1932年のロサンゼルスオリンピックの国内最終選考では3位タイに終わっている。
ロサンゼルスオリンピックの4×100メートルリレーは、1932年8月7日に6チームが出場して予選なしの決勝のみで実施された。カルーはアネット・ロジャースエベリン・ファーチウィルヘルミナ・ボンブレーメンとともにアメリカ代表チームの一員に選ばれ、そのスタートダッシュの力を買われて最初の走者を任された。アメリカ代表チームは2位のカナダ代表チームと僅差ながら金メダル獲得を果たした〔Athletics at the 1932 Los Angeles Summer Games:Women's 4 × 100 metres Relay 2011年2月12日閲覧。〕。
カルーは選手生活から退いた後も陸上競技への関心を持ち続け、結婚後はアメリカ合衆国オリンピアンズ協会ニューイングランド分会の秘書を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メアリー・カルー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.