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メイ・マレー (Mae Murray、1885年5月10日 - 1965年3月23日)は、アメリカ合衆国のサイレント映画の女優。ニューヨーク出身。ダンスの名手として人気を誇った。 == 生涯 == 本名はマリー・アドリエンヌ・ケーニッグ(Marie Adrienne Koenig)といい、ドイツ移民の家庭で生まれた。1906年からダンサーとしてブロードウェイの舞台に立った。1908年からレヴューを見せるジーグフェルド・フォリーズに加わった。 クラブのダンサーとしてアメリカ国内やヨーロッパをまわり、踊りの相方にはクリフトン・ウェッブ、ルドルフ・ヴァレンティノ、ジョン・ギルバートらが知られる。 1916年に映画デビュー。映画監督ロバート・Z・レナードと1918年に結婚、MGMのスターとなる。1920年代が人気の絶頂期で、トーキーの時代に入ると声が映画向きでないこと、40歳を過ぎても娘役ばかりやりたがることなどが災いし、人気が急落していった。 引退後は、それまで大スターとして生活したため金銭感覚が全くなく、すぐに貧窮した。晩年には老化も手伝い、メイ・マレーという名前でツケがきくと思いこみ、無銭乗車をしてバスからたたき出されたりしていた。この奇行が、ビリー・ワイルダーが映画『サンセット大通り』で描いた元大女優ノーマ・デズモンドのキャラクターの元であるといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メイ・マレー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mae Murray 」があります。 スポンサード リンク
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