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メイ島の戦い : ウィキペディア日本語版
メイ島の戦い[めいとうのたたかい]
メイ島の戦い (Battle of May Island) とは、1918年に行われた演習「EC1作戦」に関連して発生した一連の海難事故のことである。この名前はフォース湾に浮かぶメイ島に由来する。その近くで、スコットランドロサイスから北海での演習に向かっていたイギリス海軍艦艇の間で連続した衝突事故が発生した。
1918年1月31日から2月1日の霧の夜、8隻の艦艇が関与して5件の衝突事故がおきた。2隻の潜水艦が失われ、潜水艦4隻と巡洋艦1隻が損傷した。この事故での死者は270名であった〔Brewers Dictionary of 20th Century Phrase and Fable〕。第一次世界大戦中であったが、完全な事故であり敵勢力は関与していない。
事故後の調査と軍法会議は秘密にされ、大部分の情報が公開されたのは1990年代になってからである。
==事件の経過==

===出航===
グランドフリート全体が参加して翌日実施される予定の演習EC1に参加するため、およそ40隻の艦艇がスコットランドロサイスからオークニー諸島スカパ・フローへ向け出発した。それには、第5戦艦戦隊戦艦3隻と護衛の駆逐艦第2巡洋戦艦戦隊巡洋戦艦4隻と護衛の駆逐艦、巡洋艦2隻、二つの潜水隊が含まれていた。
二つの潜水隊は、戦闘艦隊との協同作戦用に設計されたK級潜水艦と、それぞれ嚮導艦1隻から成る部隊だった。第12潜水隊は、K3K4K6K7の各潜水艦と、嚮導艦の偵察巡洋艦フィアレスから成っていた。もうひとつの第13潜水隊は、潜水艦K11K12K14K17K22と、これらを率いる嚮導駆逐艦イシュリールで成っていた。
各艦は1月31日18時30分に碇を上げ、全艦隊は長さ50km近くになる単縦陣を組んで航行した。先頭は大型軽巡洋艦カレイジャスと嚮導駆逐艦イシュリールで、その後に第13潜水隊の潜水艦が続いた。それに続くのは巡洋戦艦戦隊であり、その後ろに第12潜水隊が位置し、最後尾が戦艦であった。
戦時中のため、ドイツ潜水艦を引き付けないように、無線封鎖と灯火管制が行われていた。日没後は、後に続く艦のための艦後尾の暗い明かりのみが点灯されていた。当時、ドイツ潜水艦1隻が近くで活動中であると疑われていたので、特に厳重な注意が払われたのだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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