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メグミダイオーは日本のアングロアラブ競走馬。 == 来歴 == 当初は、水沢競馬場(以下、水沢)の佐々木由則厩舎に所属していた。 1997年7月20日、3歳新馬(水沢)でデビュー(2着)。初勝利は同年8月24日の3歳 B(盛岡競馬場、以下 盛岡)。1998年8月2日に行われたビクトリーカップ(盛岡)で重賞初勝利。同年9月15日の北日本アラブ優駿(水沢)も制した。その後、しばらく重賞勝ちから遠ざかったが、2000年1月3日の紫桐杯〔紫桐杯歴代優勝馬 - メグミダイオーは同レース最後の優勝馬である。〕(水沢)で久々に重賞を制覇。そして同年6月27日の東北アラブチャンピオン(上山競馬場)を勝ち〔第28回 東北アラブチャンピオン結果 〕、東北地区におけるアラブ王者となった。 しかし、盛岡、水沢の両競馬場では既に、1999年度の開催を最後にアングロアラブ系重賞を全廃していた背景もあり、この先目標とする競走がないため、2000年11月3日のA1(2着、盛岡)を最後に、荒尾競馬場(以下、荒尾)の平山良一厩舎に転厩することになった。 荒尾では同年12月11日のユートピア特設が初戦となったが、2着に8馬身の差をつける圧勝。続く2001年1月2日の初春特別でも同じく大差勝ちを収め、上昇機運を高めた状態で同年1月30日、全国のアラブの実力馬たちを、(セイユウ記念)アラブ大賞典〔アラブ大賞典結果 〕で迎え撃つことになった。終始2番手につけた当馬は、2周目の4角で早くも先頭に立った。これに対し、1番人気のワシュウジョージも3番手にまで押し上げてきたが、直線で失速。代わってミスターカミサマ、ペルターブレーブあたりが追いすがってきたが、結局半馬身差、ミスターカミサマを制して優勝。地元・荒尾で『アラブ日本一』の座を掴んだ。しかしその後の重賞勝ちは同年12月31日のアラブチャンピオン(荒尾)と、2002年2月17日の荒尾銀盃〔荒尾銀盃歴代優勝馬 - 初代優勝馬である。〕(荒尾)の2勝にとどまった。 その後、2002年6月26日の九州アラブグランプリ(荒尾)を最後に戦線離脱。2003年10月9日、再起を期し能力試験に挑んだが、その際、右前繋ぎ部分に故障を発生。予後不良と診断されたため、安楽死の処置が施された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メグミダイオー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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