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メディチ家礼拝堂 : ウィキペディア日本語版
メディチ家礼拝堂[めでぃちけ れいはいどう]

メディチ家礼拝堂(メディチけ れいはいどう、)は、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に付属する、「新聖具室」と「君主の礼拝堂」と呼ばれる2棟の建物の総称。サン・ロレンツォ聖堂 (:en:Basilica of San Lorenzo, Florence) は、イタリア人建築家フィリッポ・ブルネレスキが、トスカーナ大公家で聖堂のパトロンでもあったメディチ家の依頼で15世紀に改築した教会である。メディチ家礼拝堂は、このサン・ロレンツォ聖堂の拡張建造物として、16世紀から17世紀にかけて建設された。聖堂内部の新聖具室 () は、ミケランジェロの設計による建物である。君主の礼拝堂() の建設計画は16世紀からあったが、メディチ家と建築家との協業で設計がなされた17世紀初めになるまで着工されることはなかった。
== 新聖具室 ==
新聖具室 () は〔Charles de Tolnay, ''Michelangelo'', vol. III "The Medici Chapel" (Princeton, 1948); James S. Ackerman, ''The Architecture of Michelangelo''〕、枢機卿ジュリオ・ディ・メディチとジュリオの従兄弟のローマ教皇レオ10世が、メディチ一族の霊廟あるいは霊安室としてミケランジェロに設計させた建物である。サン・ロレンツォ聖堂内部の左翼廊のブルネレスキ設計による旧聖具室 () の反対側にあたる右翼廊に位置し、意図的に旧聖具室と同じようなデザインとなっている。
ミケランジェロは新聖具室の設計と同時に、新聖具室に葬られるメディチ家の主要な一族の霊廟のために『夜』(en:Night)と『昼』(en:Day) 、『夕暮』(en:Dusk)と『曙』(en:Dawn) の装飾彫刻も手がけていた〔Michelangelo left no note of his "allegories" as he called them; the identification as ''Night'' and ''Day'', ''Dawn'' and ''Dusk'' was first offered by Benedetto Varchi, 1549〕。この4体の彫刻は、後世の彫刻家たちの同デザインの彫刻作品に多大な影響を与えることになった。聖堂右翼廊の新聖具室の隅には聖堂内部に通じる目立たない入り口があるが、現在この入り口は閉鎖されている〔現在メディチ家礼拝堂への入場は有料で、君主の礼拝堂にある入り口が入場者用のエントランスとして使用されている。〕。ミケランジェロは1524年までこの新聖具室の建築に積極的に携わっていたが、1527年のメディチ家のフィレンツェからの追放や、ローマ教皇クレメンス7世となったジュリオ・ディ・メディチの死去などが重なり、1534年にミケランジェロはローマへと移住し、そのままフィレンツェに戻ることはなかった。ミケランジェロがフィレンツェを離れたときに新聖具室装飾用の彫刻作品はほとんど完成していたが、当時の情勢の混乱もあって新聖具室に据え付けられずに放置されていた。これらの彫刻群が新聖具室に安置されたのは1545年のことで、ニッコロ・トリボーロ (:en:Niccolò Tribolo) の指揮によるものだった。ミケランジェロがローマへ去った時点でほとんどの建物と彫刻が完成していたが、新聖具室は未完のままだった。その後、亡命先からフィレンツェに帰還したメディチ家の初代トスカーナ大公コジモ1世の命で、芸術家ジョルジョ・ヴァザーリと建築家バルトロメオ・アンマナーティが新聖具室建築を続行し、1555年になって完成を見た〔Antonio Paolucci. ''The Museum of the Medici Chapels and the Church of San Lorenzo''. Sillabe Publishing 1999.〕。
新聖具室には当初メディチ家4名の霊廟が設置されることになっていた。しかしながら計画通りに制作されたのはヌムール公ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチとウルビーノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチの霊廟だけで、残るフィレンツェ君主ロレンツォ・デ・メディチと弟ジュリアーノ・デ・メディチの霊廟の制作は着手されることはなかった。制作されたジュリアーノ・ディ・ロレンツォとロレンツォ・ディ・ピエロの霊廟の構成はよく似ており、装飾彫刻はそれぞれ対をなした主題となっている。壁面にある聖母子像もミケランジェロの作品である。聖母子の両横に配された、メディチ家の守護聖人である聖コスマスと聖ダミアンは〔メディチ家の祖は医師あるいは薬師だったといわれており、医師と薬剤師の守護聖人である聖コスマスは医療箱を手にした姿で表現されている。〕、ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソリ (:en:Giovanni Angelo Montorsoli) とラファエッロ・ダ・モンテルーポ (:en:Raffaello da Montelupo) の作品である。また、1976年には聖具室の下に、壁にミケランジェロのドローイングがある隠し廊下が発見された〔 Peter Barenboim, Sergey Shiyan, ''Michelangelo: Mysteries of Medici Chapel'', SLOVO, Moscow, 2006 . ISBN 5-85050-825-2〕〔Peter Barenboim, "Michelangelo Drawings – Key to the Medici Chapel Interpretation", Moscow, Letny Sad, 2006 , ISBN 5-98856-016-4〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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