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メドゥイニ(; Medyn)はロシア連邦のカルーガ州北部にある都市。オカ川水系に属するメドゥインカ川()沿いに建つ。州都カルーガの北西60キロメートルに位置する。人口は7,940人(2002年国勢調査、1989年ソ連国勢調査では8,364人)。 == 歴史 == メドゥイニの名が記録に初出するのは1386年のことで、この年に「メドゥインスコエ」の村はスモレンスク公国からモスクワ大公国に譲渡された。地名の由来は、バルト語派の言語で豊かな森を表すとみられるが(例えばリトアニア語では、木のことをメディス medis という)、ロシア語で蜂蜜を意味する「mjod」に由来するという説もあり、市の紋章はミツバチをあしらっている。 1776年にはメドゥインスコエ村は市の地位を与えられ、メドゥインスク市となり、あわせて郡の行政中心地となった。 ナポレオンのロシア侵入(祖国戦争)では、この街の近くで1812年10月13日に戦闘が起こっている。前日の10月12日に東のマロヤロスラヴェツでマロヤロスラヴェツの戦いが起こり、モスクワから退却中のフランス帝国の大陸軍はロシア軍に対して大きな被害を出しつつ辛勝した。しかし翌日、大陸軍の残存する主力であった第五軍団の前衛がメドゥイニでコサック騎兵による襲撃を受けた。これは大陸軍にとって、焦土化したスモレンスク経由の道へ向かわざるを得なくなる駄目押しとなった。 第二次世界大戦の独ソ戦(大祖国戦争)では、モスクワの戦いの際に戦場となっている。1941年10月11日にドイツ国防軍により占領されたが、モスクワ付近から前線を西へ押し返しルジェフ・ヴャジマ攻勢を続ける赤軍西部戦線の反攻により1942年1月14日に解放された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メドゥイニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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