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メフメト6世(Mehmed VI, Mehmed Vahdettin, 1861年1月14日 - 1926年5月16日)は、オスマン帝国の第36代(最後)の皇帝(在位:1918年 - 1922年)。第31代皇帝アブデュルメジト1世の子。第33代皇帝ムラト5世、第34代皇帝アブデュルハミト2世、第35代皇帝メフメト5世の弟。 ==生涯== ===連合国との講和と帝国の崩壊=== 1918年7月、兄メフメト5世の死去により後を継いで即位した。しかし兄と同じく皇帝としての実権は無いに等しく、この頃のオスマン帝国は第一次世界大戦で中央同盟国側に与して戦況不利に陥っていた。 1918年10月30日、連合国側とムドロス休戦協定を結んでオスマン帝国は連合国に降伏し、イスタンブルは連合国に占領されてしまった(イタリアはアンタリアとコンヤ、フランスはキリキア、ギリシアはイズミルをそれぞれ占領)。 この協定によりアルメニア人によるアルメニア共和国が建国されることとなり、オスマン帝国は実質的に滅亡したに等しい状態となってしまった。また、それまで政治の実権を握ってきた統一と進歩委員会は敗戦と同時に解体し、指導者層の多くが国外に逃亡するに至った。 そして、このような国家の危機を見たムスタファ・ケマル・パシャ(後のアタテュルク)らが民族的抵抗運動を開始し、エルズルムやスィヴァスで東方諸州会議を召集して「国民盟約」を作り上げたのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メフメト6世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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