翻訳と辞書
Words near each other
・ メープルリッジ
・ メープルリバー郡区 (アイオワ州キャロル郡)
・ メープルリーフ
・ メープルリーフフーズ
・ メープルリーフ・ガーデンズ
・ メープルリーフ・ラグ
・ メープルリーフ旗
・ メープルリーフ金貨
・ メープルリーフ銀貨
・ メープル・ベーコン・ドーナッツ
メープル・リーフ・フォーエバー
・ メープル・リーフ・ラグ
・ メープル仙台ユースホステル
・ メープル号
・ メープル街道
・ メープル超合金
・ メーベルの多忙な一日
・ メーベルの窮境
・ メーベルの結婚生活
・ メーベルの身替り運転


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

メープル・リーフ・フォーエバー : ウィキペディア日本語版
メープル・リーフ・フォーエバー

メープル・リーフ・フォーエバー(英:The Maple Leaf Forever)は、アレクサンダー・ミューアが、1867年に作曲したカナダ愛国歌である。この年は連邦結成の年であり、作詞、作曲共にミューアが手がけた。この13年後に書かれた国歌オー・カナダ』に次ぐ位置の曲であるが、カナダで作曲された愛国的な曲としては、最も人気がある。しかしながら、ミューアの曲はイングランド系カナダ人向けであり、英国系の間で根強い人気がある一方で、フランス系カナダ人の間では評判が良くなかった。
==概要==

歌詞は、モントリオール・カレドニアン協会主催の、愛国的なコンテストにミューアが応募して、2位に輝いた作品である。この歌詞は、ミューアと、友人のジョージ・レスリーが、レスリーズガーデンズクイーンストリートの近く、ドン川の東に位置する。レスリー一家が住んでいたのにちなんでこの名がついた)を歩いていた時、レスリーが、自分のコートの袖に落ちたカエデの葉を見て「カエデはカナダの国章だ!このテーマで詩を書けよ」と叫んだためといわれる。ミューアは詩をモントリオールに送った後、この詩にふさわしい曲を探したが徒労に終わり、曲も自分で書くことにした。
1,000部が出回ったといわれる初版は、日付著作権表示もない。作曲者であるミューアが「自分のために」出版したともいわれ、楽譜の売り上げは、ミューアが自腹を切った経費の半分以下だったなどともいわれる。1871年ピアノ会社のノーダイマー:en:Heintzman & Co.)が著作権料を払ったものの、ミューアは受け取らなかった。『メープル・リーフ・フォーエバー』は、J.F.ハーディーが歌って拍手喝采を集めたといわれるが、一方で、1874年7月24日に、トロント北部の教会定礎式で、デュファリン伯爵臨席の下、ミューアの指揮により、小学生の合唱で初お披露目されたともいわれる。
歌詞はミューアが何度か手直しした。カナダ国立図書館所蔵のオリジナルののコーラス第一行'The Maple Leaf, the Maple Leaf, the Maple Leaf for ever!'が'The Maple Leaf, our emblem dear, the Maple Leaf for ever!'と直されている。1894年にも大きく手直しされている。この年の9月8日、トロントの「ジ・エンパイア」紙に、「間違った歌詞で歌われている」というミューア自身の投書が載ったが、これは、ミューアが意図的に仕組んだものらしかった。1894年以前の歌詞が、オリジナルのと同じであるという保証はないし、この「正しい」歌詞というのは、実は新しい歌詞のことだったのである。この新しい歌詞は、それまでの4つの行(スタンザ)ではなく、5つの行からのものへと変化しており、以前の歌詞との共通箇所は少なかった。1894年版の出だしは、'In days of yore, the hero Wolfe Britain's glory did maintain,'となり、その後しばらくは、この歌詞で出版されたものもある。しかし、初版のは'In days of yore, from Britain's shore, Wolfe the dauntless hero came.'で、これがやはりよく知られている。
また、後に、フランス語系住民を視野に入れて出版された分では、歌詞がこうに変えられている。「アザミスコットランド)、シャムロックアイルランド)、そしてバライングランド)が絡み合い」から「ユリフランス)、アザミ、シャムロック、バラ」となったのである。実は1862年より前に、フランス語で書かれた歌詞があったにもかかわらず、まだこの歌詞はつけられていなかった。このフランス語の詩'Salut, ô ma belle patrie!'((私の素晴らしい祖国よ!)がミューアの曲につけられたのは1914年のことだった。
現在出回っている楽譜は、ほとんどが変ロ長調で、全体的にどこか安定せず、反復進行(ゼクエンツ)もあり、学校の授業で正しく歌うのは難しいと指摘されたこともある。
1964年トンプソンから、この曲のメロディに「我らの家、我らの国、我らのカナダ」という、ビクター・カウリーの詩をつけたものが出版された。カウリーは、カナダ作家協会によるメープル・リーフ・ソング・コンテストで優勝している。
'The Maple Leaf Forever' - The Canadian Encyclopedia
その後、ルーマニア移民ブラディミール・ラディアンにより、新しく歌詞が作られた。ラディアンは元は数学者で、今はソングライター俳優詩人である。10年前にカナダに移民した。この曲は知らなかったものの、CBCラジオ番組「メトロ・モーニング・ショー」で、従来の歌詞が、一部の人々に向けたものであるという理由で、コンテストで新しい詩を応募していることを知った。〔CanadaInfo: Symbols, Facts, and Lists: Anthems and Other Patriotic Songs
バンクーバーオリンピックの閉会式で、マイケル・ブーブレがこの曲を歌った〔Michael Buble : マイケル・ブーブレ、オリンピックの閉会式でパフォーマンス/BARKS ニュース 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メープル・リーフ・フォーエバー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.