翻訳と辞書 |
モサラベ語[もさらべご]
モサラベ語(、)、あるいはアンダルス・ロマンス語(romance andalusí)、またはロマンダルシ語(romandalusí)〔スペイン語ではmozárabeという語はイスラム教徒支配下にとどまったキリスト教徒住民と、彼らの話す言語を表すという両義性があるため、非常に紛らわしいことと、実際にはモサラベ(キリスト教徒)以外のイスラム教徒やユダヤ教徒なども話していたため、アル=アンダルスで話されていたロマンス語を意味するアンダルス・ロマンス語やロマンダルシ語という名称が近年提唱されている。〕は8世紀から15世紀にかけて、イベリア半島の主に南部の住民によって話されたロマンス語の総称〔Corriente, F. (2004): El elemento árabe en la historia lingüística peninsular. En Cano, R. (coord.) Historia de la lengua española, Barcelona, Ariel.〕。モサラベ語はイスラム教徒支配地域のアル=アンダルスで発達した言語で、そこに暮らすキリスト教徒住民であるモサラベによって話された。その後、キリスト教徒諸王国によるレコンキスタによって、その上位言語となった諸言語(ガリシア・ポルトガル語、レオン語、カスティーリャ語、ナバーラ・アラゴン語、カタルーニャ語)によって徐々に置き換えられ、15世紀にはほぼ消滅した。しかしながら、現在でも日常の言語使用の中にその残滓を見ることができる。表記にはアラビア文字が使用された。 == 歴史的、社会的、文化的背景 == 8世紀初頭イスラム教徒によって征服されたイベリア半島では、すでに何世代もの間にわたって、ローマ人によって持ち込まれたラテン語から派生した諸言語(ロマンス語)が話されていた。しかし支配層であるイスラム教徒の圧力と北アフリカからの移民によって、イスラム教とともにアラビア語がその支配地域に持ち込まれ、支配的な言語となった。10世紀ごろにはイスラム教徒支配地域のロマンス語と半島北部のロマンス語との間に体系的な差異、特に音声面でのモサラベ語の古風な性格が認められるようになった。 イスラム教徒支配地域では、モサラベ語はその重要性を失い、アラビア語に対して話者を失っていった。また、モサラベ語話者に対する圧力の高まりなどが原因で北部のキリスト教諸王国支配地域への移住、逃亡などもあり、話者は減り続けた。12、13世紀ごろには一部の孤立した地域を除いて、モサラベ語話者数は非常に少なくなっていたであろうと考えられている。またキリスト教徒によるイスラム教徒支配地域の征服も、モサラベたちの数少なくなった中心地において、北部のキリスト教徒諸王国のロマンス語の拡大に有利に作用し、その地の固有のロマンス語を放棄させることになり、14世紀以前に事実上消滅、もしくはそれに近い状態になっていたと考えられる。 少なくともモリスコ追放が行われる17世紀までは、キリスト教諸王国内にアル=アンダルス・アラビア語話者集団が存在していたが、すでに彼らの中にモサラベ語話者はいなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モサラベ語」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|