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モスクワ総主教庁 : ウィキペディア日本語版
モスクワ総主教[もすくわそうしゅきょう]

モスクワ総主教(モスクワそうしゅきょう)は、ロシアの独立した正教会であるロシア正教会の長たる総主教。正式の称号はモスクワおよび全ロシアの総主教である。現在のモスクワ総主教はキリル1世である(2009年2月1日より)。
*ロシア語:
*英語:Patriarch of Moscow and All Russia
ロシア正教会と海外に展開するロシア正教会系の教区を管掌する他、ロシア正教会を母教会とする自治教会で新たな首座主教が選立された際に、これを承認する。

==歴史==
ロシアの正教会は、1448年以降、事実上コンスタンディヌーポリ総主教庁から独立していたが、その頂点である首座主教は従来通り、モスクワ府主教の位階を有すに止まっていた。
1589年になって、モスクワ大公国の実権を握っていた摂政ボリス・ゴドゥノフはロシア教会の公式の独立を望み、コンスタンディヌーポリ総主教イェレミアス2世、および他の3人の総主教(アレクサンドリア総主教アンティオキア総主教アレクサンドリア総主教)の認可を取った。そのことにより、ロシア正教会は独立した正教会と認められ、その頂点にはモスクワ総主教がおかれた。
1721年、教会を統制する事を意図したツァーリピョートル1世によって総主教座はいったん廃止されたが、ニコライ2世のもとで総主教座復活が模索され、ロシア革命直後の1917年に復活した。しかし1925年ティーホン総主教の永眠後1943年までの間、今度はソビエト連邦政府による宗教弾圧政策の一環としてまたしても後任の総主教が選立されない事態を迎えた。1943年になってようやく一定程度の宥和策に転じた当局から総主教の選立が許可された。
これまでの総主教のうち有名な者には、17世紀初頭の動乱時代モスクワに侵攻してきたポーランド人に対して祝福を与える事を拒んだゲルモゲン、同じく17世紀初頭のフィラレートミハイル・ロマノフの父)、17世紀後半に正教会を結果として分裂させたニーコン(en)、ボリシェヴィキによるロシア革命時に致命した聖ティーホンがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モスクワ総主教」の詳細全文を読む



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