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モスクワ芸術座(、略称: )はモスクワにあるロシアの劇場である。コンスタンチン・スタニスラフスキーとヴラジーミル・ネミローヴィチ=ダンチェンコにより1897年に設立された。古儀式派資本家のサッバ・モロゾフが最大の出資を行い、彼はスタニスラフスキーとネミローヴィチ=ダンチェンコとともに初期の運営上の決定を行っていた〔Орлов Ю., Экономика Московского Художественного театра 1898—1914 годов: к вопросу о самоокупаемости частных театров.〕。リアリズム演劇を確立し、世界の演劇界に多大な影響を与えた。 == 沿革 == 1897年に設立されたモスクワ芸術座を一躍有名にしたのは翌1898年のアントン・チェーホフの『かもめ』の再演だった。1895年に書かれた『かもめ』はその翌年の1896年にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場で初演されたが、これはロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗に終わっていた。 しかしモスクワ芸術座による再演は俳優が役柄に生きる新しい演出によってこの劇の真価を明らかにし、大きな成功を収めた。この成功を記念してモスクワ芸術座は飛翔するかもめの姿をデザインした意匠をシンボル・マークに採用した。 以後、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』や『三人姉妹』、『桜の園』を次々と初演していった。このほか主な演目にマクシム・ゴーリキーやミハイル・ブルガーコフの作品などがある。 劇団は1917年の十月革命の後もソビエト連邦政府の手厚い支援を受けつつ発展を続けた。劇団所属の多くの俳優たちにソ連人民芸術家の称号が与えられた。 1987年に劇団はオレグ・エフレモフを芸術監督に擁するチェーホフ記念モスクワ芸術座と、タチアナ・ドロニナを擁するゴーリキー記念モスクワ芸術座の二つに分裂した。チェーホフ記念モスクワ芸術座は2000年からオレグ・タバコフが芸術監督を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モスクワ芸術座」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Moscow Art Theatre 」があります。 スポンサード リンク
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