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『モスラVSバガン』(モスラたいバガン)は、東宝が1990年(平成2年)に製作・配給を予定していた日本の怪獣映画。 == 概要 == 『メカゴジラの逆襲』(1975年)のあと、永らく中断した『ゴジラシリーズ』であるが、1979年(昭和54年)以降、「ゴジラ復活」の機運が高まり、『ゴジラの復活』との題名での新作企画が東宝の田中友幸プロデューサーのもとで進められることとなった。 田中が構想していたこの『ゴジラの復活』では、ゴジラの敵役に「三変化する中国の怪獣バカン」(バガンではなくバカン)という新怪獣の名が挙げられている。田中の語る『ゴジラの復活』の内容は、バカンが出てくる以外はほぼそのまま1984年版の『ゴジラ』であった〔『季刊誌シネマアイ』(1982年夏号)「ゴジラ特集」でのインタビューより。〕 。 その後、ゴジラは単独で復活することとなり、『ゴジラ』(1984年)が製作されて大ヒットを収めた。これを受け、東宝は「ゴジラシリーズ」復活に自信を強めたが、続いて5年後に満を持して製作した「怪獣の対決物」としての『ゴジラvsビオランテ』(1989年)は、興行的には大成功とならなかった。 そこで東宝ではゴジラ以外の主役怪獣を打ち出すべく、「ゴジラの次はモスラで行こう」との声が挙がり、『ゴジラの復活』で予定された新怪獣とモスラを組み合わせての『モスラVSバガン』が企画されることとなった。1990年(平成2年)、『vsビオランテ』の翌年のことである。前年の『vsビオランテ』公開時に行われた劇場アンケートでの、「男児はキングギドラ」、「女児はモスラ」との人気結果も参考にされた。 大森一樹によって検討稿が書かれたあと、キャラクターデザインも特撮監督の川北紘一によって発注されていた。しかし『vsビオランテ』では「新怪獣ビオランテ」のキャラクターの弱さが東宝社内で指摘され、「スター怪獣ゴジラでも対決物興行が難しい」という結果が出た以上、さらに新怪獣とモスラとの組み合わせではキャラクターが弱かろうとの判断が下された。また、ゴジラを登場させる意見も根強く残った。この結果、代わって企画されたのが、一方の男児のアンケート人気NO1の「キングギドラ」とゴジラの対決物の『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)だった。 この『モスラVSバガン』の企画を大改稿したのが後の『ゴジラvsモスラ』(1992年)であるが、本来はモスラをこの『モスラVSバガン』で復活させ、ラストで復活したゴジラとモスラが戦う『ゴジラvsモスラ』へ続ける予定であった。 その後も『ヤマトタケル』(1994年)の続編企画や平成モスラシリーズでのバガンの登場が検討されたが、いずれも実現には至っていない〔 「平成ゴジラバーニング・コラム」No.004。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モスラVSバガン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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