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フェリックス・モットル
フェリックス・ヨーゼフ・フォン・モットル(, 1856年8月24日 - 1911年7月2日)はオーストリアの指揮者・作曲家である。 ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集を管弦楽用に編曲したことで知られる。
== 略歴 == ウンター・ザンクト・ファイト(当時はウィーン郊外だが、現在は市内)の出身。ウィーン音楽院でアントン・ブルックナーらに師事して優秀な成績をおさめる。生前は最も華麗な指揮者の一人として認められたが、『アグネス・ベルナウアー』(''Agnes Bernauer'' 1880年 ヴァイマル)などの歌劇のほかに多数の歌曲を作曲している。卓越した音楽教師でもあり、ヴィルヘルム・フランツ・ロイスやベルギーのワーグナー歌手エルネスト・ヴァン・ダイクも門人の一人である。 ワーグナー作品の有能な指揮者として名を馳せ、バイロイトでは、『ニーベルングの指環』の最初の全曲上演の準備でハンス・リヒターの助手を務めた。1886年にはバイロイト音楽祭で『トリスタンとイゾルデ』を指揮している。1881年から1903年まではカールスルーエ歌劇場の指揮者となり、とりわけワーグナーやベルリオーズの作品の上演で活躍した。 後年はワーグナーの専門家としてロンドンやニューヨークを訪れ、1903年にはメトロポリタン歌劇場の客演指揮者となった。1904年にベルリン芸術アカデミーの院長に就任する。1907年6月にウェルテ=ミニョン社の自動ピアノに自作のトランスクリプション(『トリスタン』から前奏曲、愛の二重唱、ブランゲーネの警告)を含む録音を製作した。1911年6月21日にミュンヘンで100回目の『トリスタン』の公演を指揮している最中に心臓発作に倒れ、7月2日に同地の病院で息を引き取った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェリックス・モットル」の詳細全文を読む
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