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モハッチの戦い : ウィキペディア日本語版
モハーチの戦い[もはーちのたたかい]

モハーチの戦い(モハーチのたたかい、ハンガリー語:Mohácsi csata, トルコ語:Mohaç Muharebesi)は、1526年8月29日ハンガリーモハーチ平原で、ハンガリー王国軍とオスマン帝国軍による会戦。
== 経過 ==
当時オスマン帝国スレイマン1世の時代で、このころには1522年にはロドス島聖ヨハネ騎士団を退けるなど国力は充実していた。スレイマン1世はベオグラードを「ヨーロッパの玄関」と言い、さらなるヨーロッパ進出に意欲を見せていた。
1526年の4月にスレイマン1世は6万以上の兵力と300門の大砲からなる大軍を催し、ハンガリー征服にイスタンブルからハンガリーに進軍した。迎え撃つハンガリー軍は20歳の国王ラヨシュ2世率いる3万の軍勢とトランシルヴァニアサポヤイ・ヤーノシュの援軍3万、姻戚のハプスブルク家ボヘミアからの加勢からなっていた。
ところが、オスマン帝国軍がドナウ川のほとりモハーチに姿を現すと、ハンガリー軍は援軍を待たずに戦いを挑んでしまう。オスマン帝国軍は組織的な戦術を展開し、騎士からなるハンガリー軍を誘導し一網打尽にした。ハンガリー軍は国王ラヨシュ2世が戦死したのをはじめ、壊滅的敗北を喫する。戦闘後、9月にはスレイマン1世はハンガリーの首都ブダブダペストの一部)に進駐し、帰国した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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