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モハメド・ファラー : ウィキペディア日本語版
モハメド・ファラー

モハメド・ファラー(,, 、 1983年3月23日-)は、イギリスの陸上競技選手、専門は長距離走ソマリア出身。北京オリンピック男子5000mイギリス代表。2007年全英選手権5000mおよび2003、2005、2007年全英室内選手権3000m優勝者、ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属。なお、名前の「Mo」(モー、モ)とは、Mohammedの短縮形、ニックネームのようなものである。
== 経歴 ==
ファラーは2006年にイェーテボリで開催されたヨーロッパ陸上競技選手権5000mでは13分44秒79の記録で、スペインのヘスス・エスパニャに敗れるも2位に入った。ヨーロッパカップ3000mでも2位となった。2007年モンバサで開催された世界クロスカントリー選手権ではシニア11位となり、世界陸上競技選手権大阪大会5000mでは13分47秒54で6位に入賞した。
2008年、北京オリンピックには男子5000mイギリス代表として出場したが、予選2組6着となり決勝進出とはならなかった。2009年は3月のヨーロッパ室内選手権3000m、6月のヨーロッパチーム選手権5000mを優勝した。
2009年、ドイツで行われたベルリン世界陸上選手権に出場した。見事決勝進出を果たし、残り200m付近まで先頭集団で優勝争いを繰り広げ、ケネニサ・ベケレらのスパートに離されるも13分19秒69で7位に入った。
2010年7月27日、バルセロナで開催されたヨーロッパ陸上競技選手権大会10000mに出場し28分24秒99で優勝。31日の5000mも13分31秒18で制し、2種目で優勝を飾った〔Ramsak, Bob (2010-07-31). Farah completes distance double in Barcelona, Ennis triumphs with 6823 PB in Heptathlon - European champs, day 5 IAAF. 2010年8月10日閲覧。〕。8月18日、IAAFダイヤモンドリーグヴェルトクラッセチューリッヒで12分57秒94を記録し、デビッド・ムーアクロフトが保持していた男子5000mのイギリス記録を28年ぶりに更新した〔Hart, Simon (2010-08-19). Diamond League: Mo Farah the first Briton to run sub-13 minutes デイリー・テレグラフ. 2010年8月20日閲覧。〕〔5000 Metres All Time IAAF (2010-08-07). 2010年8月20日閲覧。〕。
2011年6月3日のプリフォンテーンクラシック10000mで、26分46秒57を記録し優勝した。モハメッド・ムーリトが保持していた男子10000mのヨーロッパ記録を11年ぶりに更新した〔Dave Martin (2011-06-04). Mosop rips apart World records for 25,000 and 30,000m in Eugene – Samsung Diamond League IAAF. 2011年6月4日閲覧〕。同じく2011年、韓国で行われたテグ世界陸上選手権に5000mおよび10000mのイギリス代表として出場した。先に行われた10000mでは、ラスト600m付近から先頭に立ち、自らスパートを仕掛け一時は後続を2~30m引き離すものの後ろから猛追してきたイブラヒム・ジェイランに残り100m付近から急激に詰められ、残り30m付近で逆転を許し2位に終わるという非常に悔しい結果に終わっている。後日行われた5000mでは、予選を余裕の2位で通過し決勝に臨んだ。決勝では同じく自ら残り400m付近で先頭に立ちスパートを仕掛け混戦になる中、デジェン・ゲブレメスケルイマネ・メルガ、またラスト100mから驚異の追い上げを見せたバーナード・ラガトらを振り切り、見事優勝に輝いた。
2012年、トルコイスタンブールで行われた世界室内陸上選手権の3000mに出場し、決勝進出、決勝でも残り500mから仕掛けるも、バーナード・ラガト、オーガスティン・チョゲエドウィン・ソイらにかわされ、4位という結果に終わった。(優勝はラガト)。試合後、エドウィン・ソイがラスト70m付近でファラーの進路妨害を行ったということで失格になり、一時銅メダルに繰り上がるも、ソイの抗議によって取り消しとなった。
2014年、スイスチューリッヒで行われたヨーロッパ選手権において、2位以下を余裕でかわして5000mと10000mの2冠を達成した〔陸上競技社 編(2014):171, 174ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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