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公益財団法人東洋文庫(とうようぶんこ)は、東京都文京区に所在する東洋学の専門図書館、研究所である。英語名はThe Oriental Libraryであるが、Toyo Bunkoとしても知られている。東洋史と文化に関する文献資料を収集した東洋学専門図書館であり、EU東洋学研究コンソーシアム、フランス極東学院、台湾中央研究院、ユネスコ東アジア文化研究センター、ハーバード燕京研究所などの海外の東洋学関連研究機関との提携も進んでいる。 == 沿革 == 東洋文庫の基礎は、1917年に三菱財閥の第3代総帥岩崎久弥が、当時中華民国の総統府顧問を務めていたジョージ・アーネスト・モリソンの所蔵する、中国に関する欧文文献の膨大なコレクション(モリソン文庫)を購入したことに始まる。さらにバックには井上準之助蔵相の強力な後押しと根回しがあったことも否定できない。井上準之助蔵相は初代の東洋文庫の理事長にも就任している。岩崎久弥はモリソン文庫に加えて和書・漢籍をはじめとする東洋諸言語文献を収集し、日本を含めた東洋全域を網羅的に扱うコレクションを構築したうえで1924年に東京本駒込の地に民間の図書館兼研究所である財団法人東洋文庫を設立した。設立後、久弥自身は文庫の運営に一切関わろうとはしなかったが、必要な図書費や研究費の支援は惜しみなく行った。三菱の海外支店をつうじて代金の支払いが確実になされるため、東洋に関する良書や貴重書が現れるや、世界中の書店が先を争って文庫に購入を持ちかけた。 東洋文庫はこうして東洋学関係図書の収集、研究所の出版、国際交流などを行って地歩を確立したのだが、第二次世界大戦後の混乱期には支援者である三菱財閥の解体により経営が困難となり、蔵書は散逸の危機に瀕した。この窮地に対して、1947年に理事長に就任した幣原喜重郎元首相の尽力により、国会が支援に乗り出し、1948年に同じく三菱財閥の支援下にあった静嘉堂文庫とともに、発足したばかりの国立国会図書館の支部とされた。これにより国会図書館は東洋文庫内に支部東洋文庫を置き、文庫の図書館部門の閲覧業務を請け負うことになった。 後に静嘉堂文庫は、経済的に自立して支部図書館を廃止したため、東洋文庫のみが施設内に国立国会図書館の支部を残した状態が長らく続いていたが、2009年3月末日をもって支部契約は終了した。現在は特殊公益増進法人に認定された財団であり、その必要資金は自己資産や三菱グループからの寄付金及び国等の補助金でまかなっている。 井上準之助以降の歴代理事長には、著名な人物として、白鳥庫吉、幣原喜重郎、細川護立等が就いている。2012年現在、理事長は槇原稔、文庫長は斯波義信で、両者を兼任した時期もあった。評議員会、理事会、部長会等での意志決定を経て、通常の業務は図書・研究・普及展示・総務の各部職員がとりおこなっている。数人の専任研究員(大半は評議員で名誉教授出身)がいる。 1961年からはユネスコの要請によってユネスコ東アジア文化研究センターが付置され、2003年にセンターが終結するまでアジア文化やアジア研究の動向を世界に紹介する業務を行ってきた。 2011年10月、東洋文庫ミュージアムを併設した新本館がオープンした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東洋文庫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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