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郡山ビッグアイ[こおりやまびっぐあい]

郡山ビッグアイ(こおりやまビッグアイ、Big-i)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)郡山駅前に立つ地上24階・地下1階の超高層ビルである。高さ地上133mは福島県内で最も高い人工建造物である。
郡山駅西口の再開発事業として、郡山市の財源によって複合ビルと位置付けられて建設された。
==歴史==

西口駅再開発の目玉として、1983年(昭和58年)1月に核店舗として百貨店そごうの出店が決まり〔“そごう郡山進出 郡山の将来性に着目 商業界に衝撃 進出阻止運動の動きも” 福島民報 (福島民報社). (1983年1月12日)〕、1984年(昭和59年)1月に郡山市が建設申請を提出して〔“市が建設申請提出” 福島民報 (福島民報社). (1984年1月15日)〕同年10月に申請が受理されて〔“再開発ビルの建設申請受理” 福島民報 (福島民報社). (1984年10月5日)〕着工する方向で進んでいた。
しかし、1985年(昭和60年)4月に百貨店を核とする再開発計画に慎重派だった青木久市長が当選した〔“市長選 青木氏が初陣飾る” 福島民報 (福島民報社). (1985年4月8日)〕ため、郡山市側で計画の見直しが進められてそれに地権者が反発するなど混乱が始まった〔“一貫性ない市長の方針 見直し案 地権者反発で転換” 福島民報 (福島民報社). (1985年8月5日)〕。
こうした混乱を問題視したそごうが1986年(昭和61年)1月に出店計画を白紙撤回して撤退し〔“「郡山そごう」出店を断念 市の対応に不信感” 福島民報 (福島民報社). (1986年1月8日)〕、計画地の地権者で作っていた地権者協議会も同月に解散する事態となった〔“駅前地権者協が解散 市について行けぬ” 福島民報 (福島民報社). (1986年1月17日)〕。
同年6月に郡山市側がコンペ方式による一般公募で新構想を募ることを発表し〔“新構想を一般公募 市が表明” 福島民報 (福島民報社). (1986年6月12日)〕、翌月にはコンペを強行すると共に受理されていた三条申請も撤回し、計画は完全に白紙化されることになった〔“コンペ方式を強行 三条申請も撤回 ビル計画完全白紙に” 福島民報 (福島民報社). (1986年7月15日)〕。
こうした強引な計画見直しによる混乱に地権者は猛反発し〔“怒りの地権者、市に”絶縁状” 「独自計画でやる」” 福島民報 (福島民報社). (1986年7月18日)〕、郡山市を相手取って慰謝料支払いなどを求めた訴訟を起す事態に発展した〔“地権者に慰謝料1570万円払え 市の施策変更に違法性 郡山駅西口訴訟で地裁郡山支部判決” 福島民報 (福島民報社). (1989年6月16日)〕。
1989年(平成元年)6月の第一審の福島地方裁判所は地権者らの訴えを認めて慰謝料1570万円を支払うように命じたものの〔、1994年(平成6年)10月の第2審の仙台地方裁判所は一転して郡山市の裁量を認めて違法性がないと判断で慰謝料の支払いを取消し〔“地権者側が逆転敗訴 郡山駅西口訴訟控訴審「市に違法性なし」 仙台高裁” 福島民報 (福島民報社). (1994年10月18日)〕、1998年(平成10年)10月の最高裁判所の判決でも2審と同様に市の裁量の範囲内と認めてこの訴訟は郡山市の勝訴となった〔“変更は裁量権内 最高裁 地権者側の上告棄却” 福島民報 (福島民報社). (1998年10月9日)〕。
しかし、この間の1989年(平成元年)11月には郡山商工会議所が都市型百貨店を誘致することを決めて郡山市と地権者との間で調整に入り〔“都市型百貨店誘致決める 郡山商議所 市との仲介役果たす” 福島民報 (福島民報社). (1989年11月14日)〕、1990年(平成2年)に再開発推進協議会が行った調査で4つの百貨店が出店を検討しているとの結果が出たことから〔“4百貨店が出店検討 再開発推進協が調査” 福島民報 (福島民報社). (1990年9月26日)〕、1991年(平成3年)4月に郡山市と地権者らの間で都市型百貨店を核店舗とする再開発を行うことで再び合意するに至った〔“都市型百貨店を核に 市と地権者 基本方向で合意” 福島民報 (福島民報社). (1991年4月24日)〕。
この合意を受けて作業部会で改めて再開発の構想策定が進められ、1991年(平成3年)11月に地下4階・地上8階建てのビルを建設して都市型百貨店を核店舗として出店させる計画が策定された〔“地上8階、地下4階に 作業部会が素案 都市型百貨店が軸” 福島民報 (福島民報社). (1991年11月29日)〕。
これを受けて翌年1992年(平成4年)4月には6つの百貨店が出店の意向を示すに至ったが〔“6百貨店が出店の意向” 福島民報 (福島民報社). (1992年4月28日)〕、1994年(平成6年)2月になっても年度内の核店舗決定を行なえない状況が続き〔“キーテナント 今年度中決着は困難” 福島民報 (福島民報社). (1994年2月22日)〕、その間に景気が悪化したことから百貨店の出店構想は雲散霧消し、1995年(平成7年)7月には都市型百貨店に拘らずに核となる大型店の出店を模索する状況に陥ることになった〔“準都市型店とも交渉 キー店舗誘致で対象拡大” 福島民報 (福島民報社). (1995年7月13日)〕。
こうして核店舗として出店する大型店の招致が困難な状況となったことを受けて、1996年(平成8年)8月に商業施設だけでなく公共施設も入居させる複合型の22階建ての超高層ビルを建設する構想が浮上〔“再開発ビルは22階建て 商業、公共の複合型” 福島民報 (福島民報社). (1996年8月31日)〕。
その中に日曜日にも開庁する市役所の分室的な機能を持たせた市民センターなどを郡山市が開設する方針を打ち出し、行政側が大きく関与する方針へ大きく転換することになった〔“市民センターや日曜窓口 再開発ビルで市側が構想 郡山市議会” 福島民報 (福島民報社). (1996年9月11日)〕。
この官民複合型の再開発ビルの民間部分のテナント招致を進めるために1997年(平成9年)7月には三菱商事などと業務委託契約を結んで〔“商社の力で事業推進 市、委託契約結ぶ 三菱商事など” 福島民報 (福島民報社). (1997年7月25日)〕、同年12月には基本設計作成を委託し〔“基本設計作成を委託” 福島民報 (福島民報社). (1997年12月24日)〕、翌年1998年(平成10年)9月には福島県知事から新たな再開発計画の認可を受けて〔“知事が計画認可 ビル建設着工へ前進” 福島民報 (福島民報社). (1998年9月8日)〕同月には地権者などの権利変換の審査に入る〔“再開発ビルの権利変換審査 郡山で初会合” 福島民報 (福島民報社). (1998年9月24日)〕など計画が進展し始めた。
この新たな官民複合型の再開発計画は中心市街地の活性化の一環として進める方針が1998年(平成10年)12月に郡山市議会で表明され〔“「街なか再生」適用へ 市議会で市側答弁” 福島民報 (福島民報社). (1998年12月10日)〕、市の施設だけでなく、県立高校〔“業者に設計を委託 県立高校の配置など決定へ” 福島民報 (福島民報社). (1998年7月7日)〕や科学館〔“ふれあい科学館 遊泳を疑似体験 プラネタリウムビデオ上映「宇宙劇場」も整備” 福島民報 (福島民報社). (1999年1月7日)〕、福島大学のキャンパス〔“福島大経済学部の大学院 郡山駅西口に“分校” 勉強したい社会人応援 再開発ビル入居へ 13年4月開校目標 聴講、公開講座も計画” 福島民報 (福島民報社). (1999年11月26日)〕〔“福大教育学部大学院 郡山駅前に学外教室(ふれあい科学館に) いじめ、不登校など研究” 福島民報 (福島民報社). (2000年3月25日)〕など国や県の施設を入居させる方向へ発展した。
こうして計画が固まったことから1999年(平成11年)1月に地権者の権利変換計画を知事が認可して正式に再開発計画が事実上確定し〔“地権者の権利変換計画 知事が認可” 福島民報 (福島民報社). (1999年1月7日)〕、着工に向けて動き出すことになった〔“西口再開発が本格着工 長年の懸案 2年後の完成目指す” 福島民報 (福島民報社). (1999年1月7日)〕。
同年10月には民間部分の入居者募集を開始して〔“郡山駅西口再開発ビル テナント募集を開始” 福島民報 (福島民報社). (1999年10月19日)〕、郡山商工会議所などが出資して2000年(平成12年)2月には再開発ビルの管理・運営を行う会社が設立され〔“JR郡山駅西口再開発ビル 管理・運営会社が発足” 福島民報 (福島民報社). (2000年2月22日)〕同年8月には民間企業向け事務所フロアの入札が行われて大成建設と前田建設が落札した〔“大成と前田建設が落札 西口再開発ビル事務所床” 福島民報 (福島民報社). (2000年8月31日)〕。
2000年(平成12年)9月に公募によってビルの愛称は「ビッグアイ」となり〔“愛称は「ビッグアイ」に 郡山駅西口再開発ビル 来年4月オープン” 福島民報 (福島民報社). (2000年9月15日)〕、同年12月にはイタリア語で「大勢の人」を意味する「モルティ」が商業施設部分の名称となることになった〔“郡山駅西口再開発ビル 店舗スペースは「モルティ」 イタリア語で「大勢の人」 13テナントも発表 県内初出店ブランド多数” 福島民報 (福島民報社). (2000年12月29日)〕。
2001年(平成13年)3月に落成し〔“経済県都発展のシンボル 郡山駅西口再開発ビル 「ビッグアイ」落成式 駅前広場も完成祝う 滝のモニュメント、からくり時計” 福島民報 (福島民報社). (2001年3月23日)〕、翌月4月に市民プラザ〔“市民プラザオープン(ビッグアイ内) 行政の新拠点に触れる 初日から多くの市民 14の美術団体競演 展示室 ネッ利用無料 マルチメディア体験コーナー” 福島民報 (福島民報社). (2001年4月2日)〕や福島大学のサテライトキャンパス〔“福大大学院郡山サテライト ビッグアイで開講” 福島民報 (福島民報社). (2001年4月10日)〕、商業施設部分の 「モルティ」などが開業した〔“流行の薫りあふれ、人の列 モルティオープン、多彩にイベント スーパーモデル川原さん出演 写真展やファッションショーも” 福島民報 (福島民報社). (2001年4月29日)〕。
同年7月にはふれあい科学館が郡山市に引き渡されて同年10月に開館したことで、ほぼ全館が開業する形となった〔“ふれあい科学館 郡山市に引き渡し “宇宙の学び場”10月開館” 福島民報 (福島民報社). (2001年7月10日)〕。
しかし、郡山市が一旦取得する形をとった民間企業向けの保留床のうち約半分しか民間に売却できなかったため〔“郡山駅西口ビルの市保留床 業者買収は予定の半分 / 開業は来月下旬” 福島民報 (福島民報社). (2001年3月13日)〕、計画された資金の回収が滞ってビルの管理・運営を行う第三セクターが保留床の取得費を全額納めることが出来なかったり〔“モルティの保留床取得費 未納分、支払いへ 三セク社長表明 「テナント9月には100%」” 福島民報 (福島民報社). (2001年6月28日)〕、郡山市が追加で公費を投入して不足分を補てんする事態となる〔“ビッグアイ 保留床埋まらず歳入不足 市が4億3800万円[今年度予算]補てん” 福島民報 (福島民報社). (2001年6月7日)〕など、資金回収は計画を下回ることになった。
また、このビルの建設と合わせて郡山駅西口駅前広場の整備も行われ〔、ビルの2Fがペデストリアンデッキにより駅や市営駐車場などと結ばれた(なお、ペデストリアンデッキのうち、歩道橋部分と階段部分は東北地方太平洋沖地震で被災し、一時期供用中止となっていた)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「郡山ビッグアイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Big-i 」があります。



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