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モルディブ人民党(モルディブ人民党、Dhivehi Rayyithunge Party)は、モルディブの政党。2014年6月現在は、国民議会に議席を有していない。略称は「DRP」。現在の党首はモハメド・“コロネル”・ナシード(もちろん、大統領経験を持つモハメド・ナシードとは別人)。 == 概要 == 2005年当時の大統領であるマウムーン・アブドル・ガユームが、多党制への移行に備えて創設した政党である。2008年大統領選挙にもDRP候補としてガユームが臨んでいる。第1ラウンドではガユームが1位通過したが、第2ラウンドでは、第1ラウンド2位のモルディブ民主党(MDP)候補モハメド・ナシードを敗退した有力候補たちが支持したため、逆転で敗北を喫した。 翌2009年の国民議会選挙では、DRPは野党ながら議会第1党の地位を獲得している。しかし、ガユーム後任としてDRP党首となったがガユームの影響力を嫌い、両者で激しい党内闘争が展開されることになった〔Gayoom resigns from DRP ''Miadhu News''、2011年9月5日(2014年6月23日閲覧)〕。権威の回復を図るガユームは2011年9月にDRPを離党し〔、新党モルディブ進歩党(PPM)を結成した〔Gayoom applies for license to create new party ''Haveeru Daily''、2011年9月6日(2014年6月23日閲覧)〕。 2012年2月にナシードが軍・警察の事実上のクーデターにより大統領を辞任、後任に副大統領のモハメド・ワヒード・ハサンが昇格すると、タスミーン率いるDRPはワヒードを支持して連立与党となる。2013年大統領選挙でもワヒードを大統領候補として支持し、タスミーンが副大統領候補となった。しかしワヒードとタスミーンは有権者の支持を得られず、第1ラウンドで得票率僅か5.13%、最下位という惨敗を喫した。第2ラウンドでのDRPは、第1ラウンド1位だったMDPのナシード支持を表明したものの、ナシードはPPMのの前に敗れている。同年11月、惨敗の責任をとって党首を辞任したタスミーンは離党し、MDPに加入した〔「2013年11~12月主な動き」 在スリランカ日本国大使館ホームページ(2014年6月24日閲覧)〕。 後任のDRP党首にはモハメド・“コロネル”・ナシードが就任したものの、DRPにはもはや有力政治家がほとんどいなくなってしまい、モルディブ政界での影響力も激減した。翌2014年の国民議会選挙では野党MDPと同盟しているが、全85選挙区のうち僅か6選挙区でしか立候補できず〔People’s Majlis elections 2014 ''MINIVIAN NEWS''、2014年3月22日(2014年7月4日閲覧)〕、議席獲得もならなかった〔Last Election Maldives Majlis (People's Majlis) 列国議会同盟(IPU)ホームページ(2014年6月23日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モルディブ人民党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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