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モロトフ・リッベントロップ協約 : ウィキペディア日本語版
独ソ不可侵条約[どくそふかしんじょうやく]

独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく、、、)は、1939年8月23日ドイツソ連の間に締結された不可侵条約。犬猿の仲といわれたヒトラースターリンが手を結んだことは、世界中に衝撃を与えた。
条約は別名署名したモロトフリッベントロップ両外務大臣の名前を取り、モロトフ=リッベントロップ協定(、、)とも呼ばれる。
公表された条文は相互不可侵および中立義務のみであったが、この条約と同時に秘密議定書が締結されていた。これは東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソビエトの勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の進出を承認するという性格を持っていた。独ソ両国によるポーランドへの侵攻、ソ連によるバルト諸国併合フィンランドに対する冬戦争、ソ連によるルーマニアベッサラビアの割譲要求はこの秘密議定書による黙認の元行われた。独ソはしばらくこの条約に基づいて協調関係を持ったが、1941年6月22日から開始された独ソ戦でナチス・ドイツがソ連に侵攻することによって終焉した。
== 背景 ==

ヒトラーは著書『我が闘争』の中で、東方に地続きの植民地、いわゆる「東方生存圏」の獲得が必要であると述べていた。また国家社会主義ドイツ労働者党反共を党是としており、ソビエト連邦に対しても強烈な批判を行っていた。しかしヴァイマル共和政下の政府は、国際的に孤立していたソ連とラパッロ条約を締結していち早く関係を構築し、軍事面でも密かに協力を行っていた。
国家社会主義ドイツ労働者党の権力掌握後はこれらの関係は断絶状態となり、反共のための外交活動もしばしば行われた。ドイツ国防軍情報部(アプヴェーア)局長ヴィルヘルム・カナリスは東の反共国家日本と連携してソ連を牽制する反ソ網の構築を目指し、国防軍や外務省内の親中派を押さえ込み(中独合作)、外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップも抱き込んで日独防共協定を実現させた。また親衛隊による大粛清の引き金となったミハイル・トゥハチェフスキー赤軍元帥の失脚工作も行われている。一方ソ連はフランスのいわゆる東方ロカルノ案に同調していたが、ドイツとポーランドの拒否によって決裂した1933年以降は、フランスとの二国同盟政策に協調的になった。フランスとソ連は1935年にを締結し、事実上の同盟関係となった。
一方で駐英大使時代に反英感情を強めていたリッベントロップは、独伊日ソによってイギリスに対抗する構想を固め始めていた。1938年1月にはヒトラーに対して反英構想の覚書を提出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「独ソ不可侵条約」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Molotov-Ribbentrop Pact 」があります。



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