|
モンテネグロ公国(モンテネグロこうこく、キリル文字:)は、1852年から1910年の間、バルカン半島の現在のモンテネグロに存在した公国である。 == 歴史 == 中世以降、モンテネグロの地はツェティニェの主教公(''vladika'')が治める神政政治の土地として運営されてきた。モンテネグロはオスマン帝国の強い影響下にあったが、自治権を保持して独自の文化を育んだ。 1851年に主教公となったは、1852年にモンテネグロ公を自称し、自らの領地を世俗的な公国へと転換した。しかし、これを好ましく思わなかった宗主国のオスマン帝国と対立が生じ、1852年には軍事衝突が発生するに至った。これはクリミア戦争の端緒の一つとなった。 1860年にダニーロ1世が暗殺されると、ニコラ1世が後継者として即位し、オスマン帝国を相手に本格的な独立戦争を開始する。圧倒的な戦力差に苦戦を強いられたが、1876年、セルビア公国とロシア帝国の支援のもと、オスマン帝国を打ち破り()、ベルリン会議によって完全な独立国として認められた。 ファイル:Flag of the Principality of Montenegro.svg|1852年から1876年までの国旗 Flag of Montenegro (people's flag until 1905 Constitution).svg|1876年から1905年までの国旗 1905年の憲法制定にともない、ニコラ1世の君主号の格式は公(主教公)から国王に格上げされた。1910年には正式にモンテネグロ王国へ移行した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンテネグロ公国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|