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モンマルトル (Montmartre) はパリで一番高い丘。もともと、この丘を含む一帯のコミューン名(旧セーヌ県に属していた。)でもあったが、1860年にその一部がパリに併合されてセーヌ川右岸のパリ18区を構成するようになった。残部はサン・トゥアンに併合された。 現在は、もっぱらパリ側の地域を指し、パリ有数の観光名所となっている。サクレ・クール寺院、テルトル広場、キャバレー「ムーラン・ルージュ」、モンマルトル墓地などがある。 == 初期の歴史 == モンマルトルは、長い間、パリから独立した村だった。モンマルトルの名は、『Mont des Martyrs(殉教者の丘)』が由来である。 紀元272年頃、ドルイドの聖地であったと考えられている『モンス・メルクリウス(Mons Mercurius)=メルクリウスの丘』の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)と二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられている。ヤコブス・デ・ウォラギネの「黄金伝説」によれば、首をはねられたサン・ドニは、自らの首をかかえながら北のほうに数キロ歩き、息絶えたという。その場所がサン=ドニのサン=ドニ大聖堂になったとされる。以来、その丘は『モンス・マルテュルム(Mons Martyrum)=殉教者の丘』と呼ばれるようになった。 1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラが、バスク出身のフランシスコ・ザビエル、フランス出身のピエール・ファーヴル、スペイン出身のアルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、そしてポルトガル出身のシモン・ロドリゲスら六人の同志と共に丘の中腹にあった聖堂で生涯を神にささげる誓いを立てて、イエズス会の創設の端緒となった。 フランス革命時は暗殺されたジャン=ポール・マラーを記念してモンマラーと改称されたが、革命収束後モンマルトルに戻された。モンマルトルは長い間パリ郊外の農地であり、ブドウ畑と風車がシンボルであった。また丘の上には大きな女子修道院が建っていた時代もあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンマルトル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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