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モン・トランブラン・リゾート(英:Mont Tremblant Resort、仏:Station Mont Tremblant)は、カナダ・ケベック州モントリオールより車で北へ1時間半、モン・トランブランにあるリゾート地。特にスキーリゾートとして有名であるが、水泳のできる湖やゴルフコースなどもあり、夏期のアクティビティも盛ん。山の名前であるモン・トランブランはフランス語で「震える(揺れる)山」(英:''trembling mountain'')を意味する。山頂の高さは875mで周辺の山々で2番目に高い。紅葉の名所としても知られ毎年秋の時期になると紅葉を目当てに多くのツアー客が訪れる。 == ジョー・ライアン/シャトー・ボーバロン == モン・トランブランの歴史はシャトー・ボーバロン(Château Beauvallon)と呼ばれる建物と土地へのすぐれた先見性を見いだしたフィラデルフィア(アメリカ)出身の探検家ジョセフ・ボンドュラント・ライアン(Joseph Bondurant Ryan、または通称:ジョー・ライアン、Joe Ryan)の存在が大きく関わっている。 世紀の変わり目に生まれたジョー・ライアン(Joe Ryan)は、アメリカ鉄道業界で最も裕福な実業家の1人であったトーマス・フォーチュン・ライアン(Thomas Fortune Ryan)の孫であり、祖父の野心を受け継いだジョー・ライアンは、探検や旅行をも好んだ。 トランブランの土地をこよなく愛したジョー・ライアンがモン・トランブランを最初に訪れたのは1938年。ライアンはトランブラン山に苦難の末、登り抜き、山頂に辿り着いた瞬間、この山のもつ魅力に心を奪われる。この時、彼はここに世界有数のアルペン村を作り、各都市へアクセスできるように変えることを決心する。そして、このことがその後のトランブランのあり方を運命づけることになる。 翌年の1939年、ジョー・ライアンはマリー・ラザフォード(Mary Rutherford)と結婚し、年の終わりにモン・トランブランは公式にスキーリゾートとしてオープンする。タイムマガジン(Time magazine)にはローレンシャンをアメリカ人スキーヤーに人気のスポットとして、モン・トランブランを最も新しい流行の場所として紹介している。 1942年にジョー・ライアンは妻のマリー・ライアンと共にシャトー・ボーバロンをオープン。当初はゴルフコースのクラブハウスとして建てられるはずだったが、実現することはなかった。それにもかかわらず、モン・トランブラン地区で重要なランドマークとなる。1949年にはシャトー・ボーバロンをハリー・ストークス(Harry Stokes)とイザベル・ストークス(Isabelle Stokes)に売り渡し、その後、11年間、宿屋として経営される。1950年代、シャトー・ボーバロンは同地区でも最も名の通ったパーティー会場となり、お酒や料理、ジャズのライブ演奏などを楽しむ社交の場となる。 そして1960年代、シャトー・ボーバロンは形を変え、1976年には長期滞在向けの施設となる。アレックス・リデル(Alex Riddell)とジュディー・リデル(Judy Riddell)は建物を改修し、旅館として経営(最大30人まで)。1980年代、俳優のポール・ニューマン(Paul Newman)が滞在客でアレックス・リデルがスキーへ連れて行ったこともある。 1998年、リデル夫妻はシャトー・ボーバロンをRHKディベロップメント(RHK Developments)に売却し、老朽化した旅館は閉館される。2003年、空っぽになった建物は、同じくフィラデルフィア出身のリチャード・マスターソン(Richard Masterson)とカナダ人パートナーであるギャビン・マクドナルド(Gavin MacDonald)とピエール・ドュプレ(Pierre Dupre)が率いるグループ・アヴァンタージュ(Groupe Avantage)に再度売却された。 歴史的な重みがあるシャトー・ボーバロンの建物はこのドュプレによって受け継がれる。ピエール・ドュプレの父はトランブランで最初の医者で、ジョー・ライアンと同様にこの場所に魅せられた人物である。2005年12月21日に新しくなったシャトー・ボーバロンには70の客室を持つ高級コンドと新しいロビーとレストランがオープンしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モントランブラン・リゾート」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mont Tremblant Resort 」があります。 スポンサード リンク
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